血盟城の城下町を、一人の男が行きかう人々の合間をぬって歩いていた。 鮮やかなオレンジの髪に、がっしりとした がたい。青い瞳を楽しげに細めている彼は、眞魔国のお庭番、グリエ・ヨザックだ。鼻歌まで歌っている様子からすると、何やらご機嫌らしい。 そんな彼の足は、とある店の前で止まった。 そうして、今日も 「ちゃっらーん!」 ご機嫌な勢いのまま、バンッ!と大音を立ててヨザックは店の扉を開けた。 そこは、とある一軒の洋服店。店内にズラリと並んだ木棚には、服はもちろん、布や糸、飾り釦(ボタン)に
穴の開いた小さな硝子玉と、服飾に必要な材料も一通り揃っている。 中央に位置するカウンターから、娘が一人顔を出した。 明らかに少々不機嫌そうな表情の彼女は、この店を一人で切り盛りする女店主、セリナ。 「『ちゃっらーん!』じゃないわよ!あなたね、何でもうちょっと普通に扉を開けられないの!?あなたが来る度にこんなことされてちゃ、そのうち絶対、うちの店の扉が壊れるわっ!」 「あっら〜?そーんなに強かったかなぁ?」 腕組みしたままギロリ、と女店主に一睨みされ、ヨザックはあさっての方向を向いた。 実際のところ、今までに別件で扉を壊した前科が多数あり。 「まぁ、いいじゃないの。そん時はオレが無料で扉の修理するってことで」 「あなたがぁ〜?」 誤魔化すように言えば、思いっきり不信そうな目を向けられる。 「失礼な。こう見えても、オレの趣味は大工仕事よ?」 「へ〜え。女装だけじゃないんだ?」 「そうなの、あたしってば男物女物問わず何でも似合って困っちゃう〜。って、だーかーらー。女装は仕事!仕事上の都合!……あ、仕事で思い出した」 クスクスとおかし気に笑う彼女を見るに、自分は完璧にからかわれていると分かるが、今はそんなことは後回しだ。 今回ここへ来たのは、扉を壊すためでもなければ、自分の趣味を世間に広げるためでもないのだから。 「なぁ、このあいだ頼んどいたヤツなんだけど……できてるか?」 瞬間、今の今まで笑っていたセリナの笑い声が止まる。 カウンターに両腕をつくと、ズイッとこちらに身を乗り出してきた――無表情で。 「お客さん。あなた、“このあいだ”がいつか、分かってます?」 「えーっと、一昨日……デス」 「そう、二日前。あれからたったの二日よ?ふ・つ・か!」 わざわざ一言ずつ区切って、彼女が顔を近づけてくる。 「それで仰る台詞が、『できてるか?』 と?」 「あ〜、やっぱり無理……か」 彼女の何とも言えない視線に射抜かれ、ヨザックは落胆とも諦めともつかないため息をついた。 「そうだよなぁ。さすがのセリナも、二日じゃキツイよな。あ〜あ、急に明日出立することになったから、できれば今日 入手しときたかったんだけ……――」 「なーんてね」 「は?」 急にニッコリ笑う相手に驚く間もなく、彼女はカウンターの下に消える。と思ったら、再び目の前に現れた。 彼女のその手には、一着の服。浅葱色のそれは、胸元と裾にレースをあしらった、舞踏会用のドレスだ。 「うっそ!?できあがってんの!?」 「当たり前でしょ?私を誰だと思ってんの」 「あぁ〜、助かったー。さっすがセリナ!」 「お客に不利益を被らせない。これ、うちの店の代々の鉄則」 ビシッと人差し指を立てながら、彼女が少し誇らしげに笑った。 実に素晴らしい奉仕精神。ぜひとも他の店にも広げていただきたいものだ。 早速、綺麗に折りたたまれたドレスを広げるヨザックに、セリナは少々不安気に眉根を寄せる。 「どう?一応注文通りにしたつもりなんだけど。あと、色は私に任せるって話だったじゃない?」 「うーん、見た目は相変わらず完璧だな。色もいいし。あとは着てみないと何とも……。なぁ、いつもの小部屋、借りてもいいか?」 女主人が頷くのを確認すると、ヨザックは試着をするべくカーテンで仕切られた小部屋へと入った。 「ちゃっらーん!」 「他に言葉ないの?」 着替えが済んでカーテンを開けた途端、セリナから早速鋭いツッコミの洗礼を受けた。 すかさずヨザックも、服装に合わせて女口調で応戦する。 「ひっどーい!そんなこと言われちゃ、あたし泣いちゃうっ!」 「はいはい。勝手に泣けば?」 「うわっ。冷たいお言葉〜」 「そうよ〜?私は冷たい女なの。今頃気付いた?」 「……」 ここまで開き直られると、もう何も言えやしない。 棚に新しい品を並べていたらしい彼女は、作業の手を中断してこちらへとやってきた。 「で?どんな感じ……って、あぁ〜。ちょっと手首のところがきつそうね」 まずったなぁ、とセリナが呟く。 彼女の言う通り、袖の先を留めている釦は、今にもはち切れて飛んでいきそうな状態だった。 「ごめん、今からそこの釦 付け直して、もうちょっと緩く……――」 「あ〜、いーの、いーの。それぐらい自分でできっから、アンタはあっちで商品並べてろよ」 片手を振って追い払うような素振りをしながら、秘密道具の一つ、裁縫道具を取り出す。女装任務の必需品だ。結構豪華仕様で、糸の色も豊富に揃っている。 その様子を、セリナは口をあんぐりと開けて見詰めてきた。彼女の辞書に“はしたない”という言葉はないらしい。 「……あなた、裁縫屋でもするつもり?」 「おっ!それはそれでいいかもねぇ。第二の人生の候補に入れとこ〜」 余裕の返事を返してやると、相手は呆れたように笑った。 「まったく……。ほんと、普段はどんな仕事してるんだか」 それだけ言うと、セリナは踵を返し、棚の方へと戻っていった。 この台詞は、前にも何度か言われたことがある。が、彼女はいつも呟くだけ。決して深く訊いてくることはなかった。実際、「グリエ・ヨザック」という自分の名前さえ、未だに明かしてはいない。 これも、この店代々の“お客に不利益を被らせない”というヤツだろうか。それとも単に、彼女の気遣いか。どちらにしろ、彼の職業柄、このことは非常に有難い。 離れていく女店主の背中に小さく笑うと、ヨザックは元の服に着替えるべく、再び小部屋へと入った。 「よし!完っ璧!」 「……どこが」 縫い上げたドレスを頭上に掲げた途端、またまた彼女の 血も涙もないツッコミが飛んできた。 「はぁ!?何で?ほら、釦 ちゃんと付いてるだろ?」 「“一応”ね。でもこんなんじゃ、激しい動きしたらすぐに外れちゃうわよ」 「あれ?オレ、激しい動きするなんて言ったか?」 そんな覚えはないのだが。 不思議に思い相手を見返せば、彼女は裁縫向きの細くて長い指で、ヨザックの履いている靴を指した。 鈍色のそれは、所々汚れたり破れたり穴が開いたりしていて、実にくたびれた感じが漂っている。 「一月前に新品だった靴がそんな有様になってれば、誰だって気付くわよ」 「あらやだ、セリナったら。そんなにオレのこと いっつも隅々まで観察してたのぉ?おにーさん恥ずかしいっ!」 鋭い指摘に内心ギクリとしたが、それを隠して必死に誤魔化しを試みた。けれど、対するセリナは両腕を組んで、更に悪戯っぽく笑う。 「あ〜ら。一月前にこの店に来たついでに、靴を新調したって自慢してった人はどこの誰〜?」 言われて脳が、一月前の記憶を弾き出す。 「……はい、そうでした。ここのこいつデシタ」 「ん。素直でよろしい」 ヨザックを一通りからかって満足したのか、セリナは笑いながら彼から服を取り上げ、早速 針と糸を準備し始めた。 釦にしてみれば、これで三度目の付け直し。もしも釦に声があれば、おそらく「いい加減にしろ!」とぼやいていただろう。 そんな釦の代わりに……というわけではないだろうが、セリナが縫いながら、 「こんなことなら、初めっから自分でやればよかったわ」 等とブツブツ独り言を言っている。けれどその言葉とは裏腹に、表情はどこか楽しげだ。 彼女はいつもこうだった。何だかんだ言いつつも、依頼した仕事を最後までしっかりとこなしてくれる。お客相手にも軽口で、時には失礼な発言もあるが、決して必要以上に客に干渉してくることはない。 他の諜報員仲間にもそれぞれ行き付けの洋服店があるが、こんな店はきっと他に無いだろうとヨザックは思っている。むろん、他の仲間にここを教えてやるつもりもない。 「ほんと、足向けて寝らんねぇな」 「ん?足が何?むけた?日焼けでもしたの?」 目は手元に集中しながらも、セリナが訊き返してきた。 小声で呟いたつもりだったのだが、彼女に聞こえてしまったらしい。しかも、かなり中途半端な形で。 だが、本音なんて恥ずかしすぎて本人に知られたくない。 「いやいや。セリナは実にいい娘だなぁ〜、って言っただけ」 「へぇ〜。そりゃどーも。 言っとくけど、おだてても値はまけないよ」 「ガーン。口下手なりに頑張ったのにー」 ふざけた口調で言ったことが功を奏したらしい。彼の言葉を本気と取らなかったセリナは、大げさに嘆く男をあっさりと無視し、針を針山に刺す。 「よし!できた」 満足気に笑う彼女の手に注目すれば、なるほどたしかに、釦が糸で何重にも とめられていた。 これならば、ちょっとやそっとの動きは問題ないだろう。 「こういうのを、“完璧”っていうのよ」 「よーく覚えておきます」 素直に頷くヨザックに、セリナはやっぱり笑い、店の奥へと入っていった。 けれど、店の袋にドレスを入れて戻ってきた彼女の表情は、少々曇っているように見えた。 「あんまり、無茶しすぎないでよ?」 袋を差し出した彼女に、真面目な声でそう言われた。 見上げてくるその目が、本気で自分のことを心配してくれているのだと語っている。しかし、こんな時の反応の仕方など、自分は一つしか知らない。 いや、これしか許されないのだ。 「おっ!何、何?セリナってば、オレの心配してくれてんの?」 茶化すようにヨザックは言った。普通の者ならさぞ憤慨するであろうその態度に、セリナは怒りもせず、逆にそれに合わせて 悪戯っぽく笑う。これが、彼女の彼女たるところだ。 「お客さん、自惚れないでくれます?服の心配にきまってるでしょ? 私が丹精込めて作った服、あなたの血で汚したりなんかしたら、許さないから」 つまりは、“怪我をするな”、と。 「……わかった。確約はできねぇーけど、努力する。ありがとな」 娘に微笑むと、代金を渡して店を出る。 押し開けた扉に はめ込まれた硝子には、頭を下げる女店主の姿が映っていた。 「もし。そこのお美しいご婦人」 潜入先の城での舞踏会場。かけられた声に、ヨザックは心中でガッツポーズをとった。 話しかけてきた男は、先ほどターゲットとしてロックオンした人物だ。わざとこの男の近くの席に陣取って正解。 「よろしければ、私と一曲いかがです?」 「あら、嬉しい。喜んで」 男に手を引かれ、ホールの中央へと導かれる。 歩きながら、男がこちらを振り返った。 「そのお召し物も実に素敵だ。特別に作らせたのですか?あなたの綺麗な色の髪によく似合っている」 その言葉に一瞬目を見開いたお庭番は、穏やかな顔で笑った。 「ありがと。それ、最高の褒め言葉だわ」 そうして彼は、今日も始める。 自分に与えられた、諜報要員としての任務を まっとうするために。 彼女に作ってもらったこの服を、無駄にしないために。 「ねぇ。ところでさっき、あちらの殿方と、とても面白そうなお話をなさってたわね。わたしにもちょっとでいいから、そのお話、聞かせて欲しいわ〜」 「えぇ?仕方ないなぁ。実はこれは、まだ僕と少数の者しか知らない特別な話なんだが……――」 “仕方ない”と言っておきながら、自慢げに話し出す男は、当然気付くはずもなかった。 ダンス相手の女が、ほんの一瞬、賢い獣の笑みを浮かべたことに。 |
あとがき ついに出しちゃいました、オリジナルキャラ。一応、男女どちらでも嫌われないような女の子を目指したのですが……うーん、ちょっと心配。 セリナは、飄々としたヨザックとも平気で対抗できる人物がいたら面白いな〜…という発想から生まれました。なぜ舞台が洋服店かというと、「お庭番のあの素晴らしい体格じゃ、普通に売ってる女性用の服は無理→どこかでオーダーメードっぽく、わざわざ作ってもらってる?」という私の勝手な推測を実行するためです。(笑) 今後もいくつか この洋服店がらみの話を書くかと思いますが、「原作の世界観は極力壊さない」というのが拙宅の大前提ですので、セリナとヨザックがラブラブになるとか、ヨザックがセリナを好きになるようなことはありません。ご安心を。セリナは……どうでしょう?とりあえず今の段階では、ヨザックと良き友達ぐらいになってくれれば、管理人としては満足です。(←え?) 訂正とお詫び 06’年4月7〜8日にかけてのうちで、この話を読んで下さった方はお分かりになるかもしれませんが、オリジナルキャラの名前が「エルナ」から「セリナ」に変わりました。 というのも、「Citrus Delusion」様(管理人:卯月 由衣さま)というヨザックの夢小説を扱っているサイト様で、夢小説の主人公の名前(←設定をしなかった場合)が、何と「エルナ」だったんです。S様からメールにてこのことを教えていただきまして、急遽名前変更となりました。結局、変更したものも似たような名前しか浮かばなかったのが、管理人の語彙力の無さを物語っていますが…。(苦笑) とにかく、卯月様にはご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。そして、今回のことを寛大な御心で受け止め、許してくださいましたこと、心から感謝いたします。 また、メールにてこのことを教えてくださったS様も、本当に有難うございました。 (06/04/08) コーラル |