しゃぼん玉 今日も今日とて、命じられた雑用をこなしていると、彼の耳に少女独特の高い声が届いた。 「あ〜っ!しゃぼん玉だー!!」 彼・ダカスコスの本日の雑用は、天使と鬼軍曹の間を行き来する女性衛生兵から命じられた、山のような量の包帯類の洗濯。 そして洗濯桶から視線を上げた彼の目に映ったのは、飛んできたしゃぼん玉を嬉しそうな笑顔で見上げるグレタだった。この国の姫である。 少女はこちらに気づいたらしく、しゃぼん玉の発生源であるこの桶の前まで来ると、邪気の無い顔で尋ねてきた。 「ダカスコスまた雑用?」 「えっ、えぇ。まぁ、そんなトコですね」 また雑用。そんなハッキリ言わなくても。 子供は時に残酷だ。 「グレタお嬢さんは何してるんです?」 「え?……あっ!忘れてた!グレタ、ユーリたちと鬼ごっこしてるんだった」 慌てたように走りだそうとするグレタだったが、ふと立ち止まり、こちらを振り返る。 「もしユーリやヴォルフラムが来ても、グレタのこと言っちゃダメだからねっ!」 「えぇ、わかってますよ」 頷けば、少女は安心したように笑い、再び駆けていった。 城全体を使って鬼ごっことは、実に規模の大きな遊びだ。逃げる方には有り難い環境だが、探し
追いかける方は大変だろう。 ふわり、と風が吹き、桶からしゃぼん玉がまた一つ舞い上がった。 「雑用……か」 さっきの少女の言葉が蘇る。 馬たちの手入れや世話、侍女たちの使いっぱしり、上司閣下の撒き散らした汁の後始末……。確かに自分がやっていることは雑用ばかりの“何でも係”だ。 無職じゃないだけ有り難いことだとわかっている。以前仕えていた毒女の下よりも遥かに安全だとも思っている。思ってはいるのだが……時々、不意に考えてしまうのだ。自分のやっていることは、一体何なのだろうと。 こんな自分より、さっきの少女を笑顔にしたように、見た人を笑顔にするこのしゃぼん玉の方がずっと世の中の役に立っているんじゃないか。そんな極端な思考さえ浮かんできてしまう。 「ん〜。グレタ、どこに行ったんだろ……?」 聞き覚えのある声にふと我に返れば、高貴なる黒をその身に纏わせた人物が一人、きょろきょろとしながらやってくるのが見えた。 「陛下」 「あっ、ダカスコス。洗濯中?」 「えぇ、軍曹ど……ギーゼラ様から洗うようにと、包帯やガーゼを」 「へ〜、こんなに沢山……。仕事、大変だな」 労いの言葉を掛けてくる王に、思わず苦笑する。 「そんな、自分がやってるのは雑用でして。仕事だなんて大層なもんじゃありませんよ」 すると相手が不思議そうに小首を傾げた。 「何言ってんだ?ダカスコス」 「はい?」 「護衛だろうと教育係だろうと、厨房班だろうと雑用係だろうと、仕事は仕事に変わりないだろ?どれも大切で必要な仕事じゃん」 「……」 今のダカスコスの心境を表すかのように、その場をたゆたっていたしゃぼん玉が目の前で弾けて割れた。 驚いた。他人からこんな言葉をかけられたのは初めてかもしれない。妻でさえ「ダッキーちゃんがこんなだから、いつまでも雑用係なのよ!?」と文句のネタにしている雑用を、大切で必要だと言ってくれる。それも、王自ら。 やっぱりこの王は、どこか違う。 「それよりさ、ダカスコス。グレタを見なかった?」 「お嬢さんですか?えぇ、見ましたよ」 「ほんと!? ね、どっちに行った?もう、さっきから全然見つからなくて……」 困ったように尋ねられ、ダカスコスは少し思案する。 『グレタのこと言っちゃダメだからねっ!』 『仕事は仕事に変わりないだろ?』 「……そうですねぇ。残念ながら陛下、グレタお嬢さんに口止めされてるんで、お話しするわけにはいかないんですよ」 言いながら、左手を不自然に持ち上げた。グレタが消えていった方角だ。これならば一応、「言っちゃダメ」という少女の言葉は守っている。 少年王は一瞬怪訝そうにしたが、すぐにこちらの意図を汲み取ったらしく、ああ、と小さく頷いた。 「有難う、ダカスコス!仕事、お疲れ様」 ぽん、と笑顔で軽く雑用兵の肩を叩き、王は走りだす。 その背を見送って。 「お疲れ様……か」 自然に笑みがこぼれた。これもまた、久しぶりに掛けられた言葉。 自分のようなしがない一般兵にそんな言葉をかける君主が、この世に一体何人いるだろう。 「よしっ!」 ぐっ、と軽く拳を握り気合いを入れると、ダカスコスは再び包帯を洗い始めた。 ムクムクと立った泡からは小さなしゃぼん玉たちが生まれ、空に向かって一斉に旅立っていった。 |
あとがき なぜだろう。せっかくダカスコスがメインという大きなチャレンジをしたのに、内容がいつものテイストと似ているせいか、新鮮味が無いような。(泣) ダカスコスとギュンターの遣り取りも、いつか書いてみたいです。そしてそこでリベンジしたい!! |