ためいきひとつ

 

 

血盟城の とある棟の最上階。そこで月に二・三度行われているのが……。

「さぁ、もっと手首をきかせて!そこの貴方!もっと鞭に情熱を込めて!」

……魔王陛下直々の鞭の特訓、である。

対象者は危険任務の多い「ドキッ!男だらけの情報部員、情報漏洩(ポロリ)もあるよ」のマチョ集団。魔王推薦の桃色の鞭を片手に、屈強な男たちが綺麗に整列し武器を振るう光景は、傍から見れば実に奇妙だ。しかし、その場にいる者は皆、必死の形相だった。

それもそのはず、この場のあちこちには、城に代々伝わるような高級品の壷や銅像が所狭しと並んでいる。これらを傷つけることなく鞭を自在に振り回す、というのが本日の訓練なのだ。

ちなみに見事、品を破損させた者には、自分の給料から高額な弁償代を差し引かれるという仕組みになっている。しかしだからといって弱々しく鞭を振るっていれば、魔王直々に鞭が飛んでくる。まさに地獄だ。

 

「止め!それでは、ここで少し休憩を入れましょう。訓練、一時休止!」

パン、と女王の綺麗な手が打ち鳴らされると同時、男たちは情けなくもヘナヘナと崩れ落ちた。

しかし、動きはあくまでゆっくりと、だ。休憩時間中であろうと、超高級壷を割ってしまえば、減給街道まっしぐらである。

「あっちぃ〜……」

この訓練の参加者の一人で、しかも実力もこの中では上位だからと最前列で鞭を振るわされていたヨザックも、さすがに辛かったらしく。座ると同時に本音がこぼれた。

無風の室内では無駄だと知りつつも、片手で自分の顔を扇ぐ。一応すぐ近くにある窓は空いているのだが、風が吹かないため意味をなしていなかった。

生ぬるい微風を受けつつ恨めしげにその窓を眺めていると、彼の視界に眩しく輝く金色が滑り込んでくる。さっきまで自分の目の前で男たちを指導していた、魔王陛下だ。

彼女は窓枠に肘を立て頬杖をつくと、空を見上げ、一つ小さく息を吐いた。

――ツェリ様が……ため息?

「ねぇ、ヨザック」

視線は外へと向けたまま、彼女が彼の名を呼んだ。ヨザックは出自の境遇上、魔王の息子の一人と幼なじみであり元部下という関係にあり、その母であるツェリにも存在を知られていた。

「何ですか、女王陛下」

「んもう、いつも言ってるでしょ?『ツェリ』って呼んで。……最近、コンラートから連絡はあって?」

居住まいを正して応えれば、空から視線を剥がした彼女から返ってきたのはそんな言葉だった。始めは不満そうに、そして、最後は真面目な声で。

「隊……ウェラー卿ですか?そうですね……二十日ほど前に白鳩便で連絡がきたっきりで。ツェリ様にもきたんじゃないですか?メヒルサルの天下一舞踏会で優勝した、っていう」

「えぇ、あれっきりよ」

「オレも同じです。と言うより、オレに送るぐらいならまず先に、貴女に送るはずですよ。オレだけに連絡を寄越すようなマネはしないでしょう」

「……そうかしら」

 低く呟いた女王の、エメラルドグリーンの瞳が微かに揺らいだ。

「あたくしはあの子に……いいえ、コンラートに限ったことでもないけれど。息子たちに母親らしいことは殆どできていないの。コンラートにも、あたくしが無知なばっかりに、多くの辛い思いをさせてしまった……。そんなあたくしを母と思う子がいて?」

 自嘲気味に微笑むと、彼女はお庭番の言葉を待たずに再び窓枠へと肘をついた。見上げた空は、雲一つ無い。

「今頃、どこで何をしているのかしらね」

 この同じ空の下で、何を。彼女のそんな呟きが聞こえるようだった。

 ヨザックは立ち上がり、女王の隣に並ぶ。無礼は承知の上だ。どうせ、自分は普段から無礼な奴なのだから。

「アイツ……いえ、ご子息なら、きっと元気にしていますよ。どうせまた、あちこちフラフラしてるんでしょう。心配要りません。それから、ツェリ様のことですが」

「あたくし?」

 王が不思議そうに見上げてくる。女性の中では比較的長身の部類に入る彼女の眼は、他の女性たちよりも近くに感じる。

「ええ。ご子息たちは皆、ツェリ様のことを母親として大切に思っていると思いますよ。もっとも、これはオレの勝手な見解ですから、ツェリ様はお信じにはならないかもしれませんけど。……それでも、」

 自分は母親との記憶なんて少ないけれど。だからこそ、分かることがある。

 他所の母子の姿を羨ましく眺めたことのある自分だからこそ、分かることが。

「少なくとも、そんな風に息子のことを思ってため息をつける貴女は、間違いなく“母”だと思いますよ?」

 笑いかければ、女王の目は一瞬、まん丸に見開かれた。元々大きな目が、更に大きくなる。

だがそれはすぐに細まり、彼女の薔薇色の唇が緩やかな弧を描いた。

「……ありがと、ヨザック」

 

 

「でもね」

 突然不敵に微笑を深くした女王の指が、スッと床を指差す。

「これは、きっちり弁償してもらうわよ?」

 彼女の白い指が示す先には、小さな陶器の欠片。

「……バレてましたか」

 今度はお庭番がため息をつく番だった。

 

 

 

 

 

あとがき

 まだツェリ様が魔王だった頃の話でした。(一応、戦後ではありますが。)「閣下(マ)」ネタも少々拝借。

 この話は、ちょっと難産でした。ただため息をつく話なら結構浮かんだんですよ。例えば、「仕事中に目の前で馬鹿馬鹿しいやりとりを展開されて、ため息をつくグウェン」とか。(笑)

 でもよくよく考えたら「“空を見上げて”10のお題」ですからね。やっぱり空を見上げてため息をつかせるべきかなぁ……と。

 ちなみに今回のお題の話では、どの話でもとりあえず「空」か「見上げる」という単語は必ず使うように心がけています。

 

 

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