チクタクチクタク

 

 

時計の音は不思議だ。

普段はちっとも気にならないのに、一度意識しだしたら なかなか耳から離れない。

チクタクチクタク……。

 

 

 

僕がその声を意識しだしたのは、いつの頃だっただろう。

 

「おいコラ、新山(にいやま)!何すんだよ、返せっ!!」

教室に一歩入った僕の耳が真っ先にとらえた音は、やはり彼のもの。

焦ったような彼の声に、僕は自然とその音の発生源を目で探した。

「おっ!さっすが渋谷。今回のテストも平均点に届かなかったかぁ〜」

「いいねえ、期待通りの結果。嬉しいよ、し・ぶ・や・君」

「うるさいっ!お前ら他人(ひと)のテストの点を勝手に見て喜ぶなっ!」

彼・渋谷の周りは、いつも人が絶えない。

今回も、窓際の彼の席を取り囲むようにして、男子生徒二人が彼をからかっていた。会話の内容から察するに、新山が手に持ってヒラヒラさせているのが渋谷の数学のテストだろう。

前の時限に返されたそれを受け取った瞬間の、渋谷の表情を思い出す。確かに「ショック!」という顔をしていた。

新山の手からテストを奪い返した渋谷が、ジロ、と眼前の二人をねめつける。

「ったく。そもそも岡崎(おかざき)、あんたはおれのこと言えないんじゃねーの?」

新山の隣に立つ痩せ型のクラスメートに、彼が視線を投げる。岡崎はいつも、渋谷より点数が低かった。

しかし岡崎は、渋谷からの視線に余裕の笑みで応える。

「ふっ。あんまり俺を馬鹿にすんなよ、渋谷。今回、俺はお前の点数に勝った!」

「はぁ!?嘘だろっ!?」

驚愕に目を見開いた渋谷が、椅子を蹴って立ち上がった。本当に、彼は表情がコロコロと変わる。

「ま、俺が本気を出せばこんなもんよ」

「って言っても、渋谷の点プラス三点だけどな〜」

「ばっ!馬鹿、新山!それを言うなっ」

二人は相変わらず面白いやりとりを続けているが、渋谷はそうもいかないらしい。たとえ三点だろうと、岡崎に負けたことには変わりないのだ。

彼は文字通り、頭を抱えてヘタリと椅子に座りこんだ。

「どうしよう……、おれ本気でヤバいのかも」

「ま、中三だってことを考えるとな」

「気にするな、とも言えないわな」

「でもお前も、渋谷に勝ったからっていい点じゃないぞ、岡崎」

「うっ…」

三人に沈黙が降りたのを見て、僕はそちらに足を向けた。この種の沈黙にはあまり近付きたくないが、一応それなりに理由があったので。

 

「渋谷」

声をかけると、虚ろな目ながらも彼が顔を上げた。彼に声をかけるのは久しぶりだな、頭の隅でそんなことをぼんやりと思う。

「小野(おの)先生が呼んでたよ。職員室に早く来いって」

「うあっ、そうだった!荷物運ぶの手伝えって言われてたんだった!」

「何だぁ、渋谷。お前、小野のパシリになってんのか?」

「ちっげーよ!おれは小野の教科の係なの!」

新山に突っ込むのを忘れない渋谷の隣で、岡崎が僕を見ながらボソリと言った。

「いいよなぁ、村田は」

「え?」

訊き返したのは僕だったが、他の二人も驚いたようにこちらを見やる。

「どうせまた、学年トップだったんだろ?」

「……さぁ。他のクラスの人と比べたわけじゃないし」

またか、と内心思った。いつもテストの前後に浴びせられる、似たような言葉。こんな時は何を言っても、謙遜や嫌みにしか受け取ってもらえない。

胸中にジワリ、と黒い染みが広がる。

「いーや、どうせ一番なんだよ。いっつもそうじゃねぇか」

「でも、今回の数学は難しかったと思うよ?」

「はあ?毎回高得点とっておいて、『難しい』だぁ?将来安泰な秀才君が、よく言うぜ」

「岡崎!」

いつものように聞き流してやり過ごそうとした僕の耳に飛びこんできたのは、渋谷の声。

「やめろよ。そんな言い方されたら、村田だって嫌に決まってるだろ」

友人を一瞥してから、彼は僕に苦笑を向ける。

「ごめんな、村田。こいつ点数悪かったから、ちょーっと僻んでるだけなんだよ」

「でも、自分より点数低かった奴に『点数悪かった』とは言われたくないよな〜」

「……新山、お前一言余計」

ニヤ、と笑う友人に恨めしそうに言う渋谷。そのやりとりに、思わず吹き出しそうになった。

不思議だった。さっきまで胸にあった黒い染みが、瞬時に浄化されていくのを感じる。

渋谷はテストを机に仕舞うと席を立った。

「じゃあとにかく、おれ行ってくるよ」

バタバタと教室のドアに向かう渋谷。だが、「あ、忘れてた」と呟きこちらを振り返る。

「村田、小野のこと教えてくれてありがとな」

どこまでも丁寧で、僕は今度こそ吹き出した。

「お礼なんていいから、早く行きなよ渋谷」

「ああ。じゃあ、行ってくる」

 

笑った渋谷の姿がドアの向こうに完全に消えると。僕は心中だけでそっと溜め息をついた。

今日もまた、彼は気付かなかった。僕と彼との特殊な関係に。

――いや、それ以前に、彼の中に眠る王としての魂にも。

ぼんやりとそんなことを考えていると、すぐ隣で名を呼ばれた。

「……村田」

「うん?」

振り向けば、罰が悪そうにそっぽを向いたままの岡崎。

「……悪かった」

ボソッと呟くように言われて、正直驚いた。

さっきの渋谷の言葉の影響だろうか。だとしたら、面白い。彼はもうすでに、王としての気質を備えているのだ。

周囲の者によい影響を与える力を。

「別にいいよ。気にしてないから」

笑って答え、僕は二人から離れた。

 

 

 

ねぇ、渋谷。

僕が君のことを意識しだして、君の声が耳から離れなくなってから、大分時間が流れた。

僕は今日も、少し距離を置いて君を見ている。

君の王としての魂が目覚めることを、心待ちにして。

だけど今日も君は目覚めることなく、時だけが刻一刻と過ぎていく。

決して止まることなく、チクタクチクタク……。

 

 ――ねぇ。君は、いつになったら気付くんだい?

 

 

 

 

 

あとがき

 実はこの話、「選択お題0」の中で一番最初に浮かんだものです。何故だか猛烈に学園モノが書きたくなって書きました。(笑)

 オリジナル同級生を出しちゃいましたが、有利の周りに集まってくる人は、本質的には皆「イイ奴」なんじゃないかな、と思います。

 

 

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