浮かべた弧が全て 空島から持ち帰ったウェイバーがこちらの海でも使えると分かり目を輝かせたのは、乗っていたナミだけでなくルフィもだった。すぐに自分も乗ってみたいと言い出し、無理だやめておけとの皆の言葉に構わずナミと交代した結果は、やはりクルーたちの予想通りで。結局ウソップが溺れた船長を助け、ウェイバーを唯一乗りこなせるナミが今、颯爽と海の上を走っている。 その麗しの航海士の楽しそうな姿を充分目に焼き付けたサンジは、作業の途中だったキッチンへと踵を返した。本当はいっそずっと彼女のその姿を堪能していたいところだが、ウェイバーを楽しんで船に戻ってきた彼女にすぐに食事を出せるよう、作りかけの昼食を仕上げなければならない。 それに今日の昼食のメニューはサンジにとって、少々特別なものでもあったので。 さて作業を再開しようと、サンジがシンクの前でシャツの袖を捲くっていると、ラウンジの扉が開かれた。見れば、額に汗の粒を浮かべた剣士が平然とした顔で入ってくる。 空島から帰ってきた途端、例の串団子よろしいバーベルを引っ張り出してトレーニングを始めるのを見かけた。そのくせこうして息一つ乱れていないのだから、感心を通り越して呆れてしまう。 けれどこの時のサンジはなかなかの上機嫌だったので、特に悪態をつくこともせず。「水」と単語だけを口にしてグラスを取り出す剣士に、冷蔵庫を指さしてやった。 「そこに青い瓶が入ってる。ただの水よりそっちの方がいいぞ」 瓶の中身は、サンジ作のアイソトニック飲料だ。発汗で逃げた水分やミネラルを補給できる。 手元はもう調理台の方に向けながら言えば、冷蔵庫が開く音と共にゾロの少々怪訝そうな声が届いた。 「やけに機嫌がいいな」 普段ならば図星をさされて腹を立てたかもしれない。が、今のサンジにとってゾロのそれは、むしろ好反応だった。胸に抱えた嬉しさと少しの優越感を、誰かに話したくて堪らなかったのだ。 「そりゃあ、よくもなるってもんだ。なぁゾロ、お前ロビンちゃんの好きな食べ物知ってるか?知らねぇーだろ」 ふふん、と自慢げに鼻を鳴らしてやれば、ゾロは眉間に皺を寄せたまま、注いだグラスの中身を一気に煽る。そうして、サンジの手元をチラリと見やった。 「……サンドウィッチか?」 「っ!?」 一瞬にして、サンジの表情が変わった。言葉にならない声を上げ、血相を変えてゾロに詰め寄る。 「なっ、何で!?おれより先にお前が知ってるなんてっ!!」 「当たりなのか?別に本人に聞いたわけじゃねぇよ。お前がそんな顔して作りながら訊いてくりゃ、普通そう思うだろ」 言って、ゾロは涼しい顔で二杯目を注ぎにかかる。 あっさりと当てられたことに加えてその態度に、サンジの不機嫌メーターが僅かに上がった。が、さっきまでの機嫌のよさが幸いし、跳ね上がるまでには至らない。 悔しさを抱えながらも、まぁいい、とサンジはサンドウィッチの調理を再開した。 「今のおれはかなり上機嫌だからな。お前のそんな態度も許してやる。感謝しろ」 「はぁ?何わけの分からねぇこと言ってんだ」 ゾロの疑問をあっさり無視して、サンジは調理の手と喋る口を同時進行させる。煙草を銜える口の端を、嬉しげに引き上げた。 「何しろ、ようやくロビンちゃんが好きな食べ物を教えてくれたからなぁ」 これまではそれを訊いても、「あなたの作る物なら何でも美味しいわ」の一言で済まされていた。勿論、その言葉だって料理人にとっては最高に嬉しいものだが、やはり個人的な思いも教えて欲しい。少しでも、彼女との距離が近づけたような気がするから。 それが今回、「空島帰還一発目、ロビンちゃんの好きなもの作るよ〜!何がいい〜?」とラブハリケーンを発生させながら言えば、彼女が小さく微笑んで「じゃあ……サンドウィッチをお願いしようかしら」と初めて答えを返してくれたのだ。 空島の一件を通して、少しは彼女も自分たちに心を開いてくれたのかもしれない。それらの思いを渾渾と語れば、ゾロが小さく肩を竦めた。 「ロビンがおれたちに心を、ねぇ……」 そのまま空になったグラスを流しに置き「ごちそうさん」と呟く男を、サンジは横目で睨む。 「何だよ、その含みのある言い方は」 「別に。ただ、おれは有り得ねぇと思っただけだ。そもそもおれは最後の砦だしな、ロビンはまだ胡散臭ぇとも思ってる」 あっさりと言い放ったゾロに、とうとうサンジの不機嫌メーターは振り切れた。 「何だその言い種!お前まだそんなこと言ってんのか!?」 思わず調理の手を止め、ゾロの方に向き直る。相も変わらず涼しい顔がそこにあった。数分前と違うのは、額に汗の玉が浮いていないことぐらいだ。 「百歩譲って、いや百歩以上譲って、ロビンちゃんがこの一味に入ったばっかりってならまだ分からなくもねぇけどな、この空島の一件があってもまだ、てめぇはロビンちゃんへの認識が変わんねぇのかよ!?」 そこでようやく、ゾロの表情に変化が出た。しかしそれは、不機嫌というよりも怪訝そうなもので。 何かおかしなことを言っただろうかと、本当に一瞬だけサンジは考えたが、それならば何か言い返してくればいい。なのにこの男は無言を貫くので、結局サンジは睨みつけていた視線を自分から外した。 「はっ、呆れた。お前なんかにサンドウィッチはやらん。パンの耳で充分だ」 サンドウィッチを作る際に出る食パンの耳。おやつにでも使おうと思っていたが、この頑なな剣士の昼飯にしてしまおう。そして皆が種類豊富な具入りのサンドウィッチを食べるのを、羨ましがりながら見ていればいい。 本気で腹が立って、けれど食事抜きにするのは料理人としての性で出来なくて、そんな言葉を投げれば。サンジに返ってきたのは、意外にも嬉しそうな調子のゾロの声だった。 「それ、食っていいのか?」 「は?」 予想外の反応に振り向けば、ボールに入れたままのパンの耳の束へ、剣士がじっと視線を送っている。心なしか、その両目をキラキラとさせて。 あまりのことに呆然としていると、じれたのか、剣士が視線はそのままに「いいのか、悪ぃのか」と催促するように訊いてくる。 「あ、あぁ。別に構わねぇが、どうせなら揚げるか何か……」 「別にこのままでいい」 言うが早いか、ゾロは早速ボールの中身を掴みにかかった。大口を開けて細いそれにパクリと噛みつくと、実に美味そうに咀嚼する。 一方のサンジは、そんな剣士の様子に少々怒りが削がれてしまった。肩すかしをくらった気分だ。 なんてわけのわからない奴。そもそも、パンの耳であんなに目を輝かせるなんて、どこのお子様だろう。何の手も加えていない、ただ切り落としただけのパンの耳でこんなに喜べるなんて、まったくもってお手軽な奴だ。 いくらでも湧いてくるそんな悪態はしかし、サンジの喉を通過することはなかった。目の前でこんなに無邪気に美味そうに食べられては、むしろその光景がちょっと可愛くさえ見えてくる。 まったく、こいつのおかしな反応に影響されて、おれの感覚までおかしくなっちまった。そんな見当外れな八つ当たりを胸中だけで相手に向ければ、それに反応したわけではないだろうが、ゾロがゆらりと動く。 パンの耳を片手に扉へ向かい、ノブに手をかけたところでその足を止めた。 「誤解されてるようだから一応言っとくが」 「あ?」 「別に、認識が変わってないわけじゃねぇ」 突然の言葉に一瞬戸惑ったが、すぐに先の会話の続きだと分かる。 「選択肢が増えた」 「選択肢?」 オウム返しに訊けば、ゾロが小さく頷いた。 「今までは、あいつは敵だという選択肢しかなかった」 「で?今は?」 「敵かもしれねぇ。が、味方かもしれねぇ」 つまり、今回の一件で「味方」という選択肢が増えた、と。 そうか、とサンジが呟けば、あぁ、と一言残し、ゾロはラウンジを出て行った。 「ほんと、分かりにくい奴。そもそも、ロビンちゃんは味方に決まってるっつーの」 独り残ったキッチンで、サンジは消えていった相手に向かって小さくぼやいた。けれどその口は、言葉に反して緩やかな弧を描いていて。 まぁ、今の発言とさっきの意外な可愛らしい反応に免じて、サンドウィッチも二つ三つなら食べるのを許してやるか。 サンジがそんなことを思うのと、麦わら帽の船長がパン耳欲しさにラウンジへ転がり込んでくるのは、ほぼ同時のこと。 |
あとがき 303話で、ゾロがすごく美味しそうにパンの耳を食べているのが意外でして。しかもどうやってサンジ君から貰ったんだろうと思って。そんな疑問を、ロビンちゃんのサンドウィッチ好きと絡めて書いてみました。 無邪気な顔をしているゾロは貴重なだけに、見ると妙に得した気分になってしまいます。(笑) |