嘘の代わりに

黙って笑う

 

 

トレーラーから一歩外へと出れば、夜独特のヒヤリとした空気がファイを包んだ。といってもそれは、身震いするようなものではなく、涼しいと呼べる心地よさの類だが。

目の前に広がるのは、かつて阪神共和国で見たものよりも更に高層な建物の数々。そして、サーチライトと呼ばれる光線が、闇夜を絶えず照らしている。

それらの景色を横目に、ファイは鉄の塊の山の上であぐらをかいて難しい顔をしている男の方へと歩を進めた。

「ちょっと黒るー、大事なパーツの上に乗っかっちゃっていいのー?」

 声をかけるものの、相手は手にした紙を睨み付けるように見詰めたままで、「ああ」とも「はあ」ともつかぬ曖昧な返事をするのみ。代わりに、黒鋼の肩に乗って同じく紙を眺めていたモコナが、「ファイー!」と手を振ってきた。

 それには笑顔で片手をあげることで応えつつ、黒鋼の傍まできたファイは、

「どーお?ちょっとは理解できそう?」

と黒鋼の手元にある紙を覗き込む。紙面に示されているのは、この国の乗り物の一つ、ドラゴンフライの組み立て方の詳細。

 眉間に皺を寄せたままの男が、ようやく口を開いた。

「まぁ、一応な。字が読めねぇのが難点だが、幸い図がある。この図面通りに作りゃ、何とかなるだろ」

「なるほどー、さっすが黒みゅー。アバウトさ加減が絶妙な結論だねー」

「黒鋼、ぜっつみょーう!」

「なんだとお前ら!?」

「これ誉め言葉だってばー」

 眉をつり上げてくる黒鋼を、まぁまぁ、と宥めてやる。

 実際、この国の文字は誰も読めなかった。ファイや小狼はかろうじて読めなくもなかったが、それでも完全な意味までは掴めない。モコナがいるため話すことには難儀しないが、さすがに目で見る文字までを翻訳する力はモコナにもない。一度、黒鋼がそのことについて文句を漏らすと、モコナはひどく憤慨していた。

 しかし、文字が読めないからといって、ドラゴンフライの製作を諦めるわけにはいかない。この国で催されるドラゴンフライのレースの優勝商品が、サクラの羽根である限りは。ならば、読めないと悩んでいるより、黒鋼が言うようにとにかく作ってみるしかないだろう。ドラゴンフライはこの国では日常的な乗り物のようであるから、いざとなれば街の人たちに作り方を尋ねてもいい。

 

「小僧と姫は?」

 紅の目に見上げられ、ファイは自分が出てきたばかりのトレーラーを振り返りながら告げた。

「もう寝たよ。こうやって無事、しばらく住むところも確保できたし、明日から本格的にドラゴンフライの製作に入るからね。今日は早めに寝るって」

 ファイと黒鋼が夜魔ノ国で得た報奨金がこの国の貨幣に換金できたため、早速本日、レンタル式のトレーラーとドラゴンフライ製作に必要な物資を一通り購入した。そして―――特別なとある物も。

「どうする?オレたちももう早めに寝ておく?それとも……準備は万端だし、明日からの景気づけに“あれ”、飲んじゃう?」

 魔術師が問えば、黒鋼は珍しく満足げに口端を上げた。

「悪くねぇ」

 

 

 

「……で、何で白まんじゅうまで一本掴んでんだ」

 ヒクヒクと顔を引きつらせている黒鋼に、二つの笑顔が返ってくる。

「別にいいんじゃない?ちょうど三本あるわけだしー」

「そうそう。大勢で飲んだ方が、お酒は美味しいの〜!」

「だからって、てめぇまで高い酒を飲む必要はねぇだろう!?白まんじゅうはあの黒猫の酒で充分だ!」

 怒鳴る黒鋼を特に気にする風もなく、ファイとモコナは笑いながらそれぞれ手にした酒の栓を抜く。

 

 紗羅ノ国で祝い酒を目前にしてこのピッフル国へと移動させられた黒鋼は、その後散々、酒について愚痴っていた。そのため今回、物資を揃えるついでに酒も多めに購入した。

この国で一般的に飲まれているのは、黒猫のイラストがラベルに描かれた酒のようだが、少し値が張るものも売られており、それも三本買った。本当は、黒鋼とファイ、それぞれ二本ずつの合計四本を買いたかったのだが、さすがにそれでは出費が多すぎると、一人一本半ずつの計三本。夜魔ノ国での半年間を互いに労う意も込めた購入だった。

 

そんな経緯があるため、黒鋼としては高い酒をモコナが一本飲むことには異議があるようだ。けれどモコナは既に、グラスに注いだそれをグビッといい音を立てて喉に流し込んでいる。

「うわー、このお酒美味しーい!」

「ほんと、どんどんいけちゃうねー」

 幸せそうに言うモコナに、ファイも同意した。昨日飲んだ黒猫の酒も結構美味かったが、値段が上がるとやはりそれなりに味も違う。

 チラリと黒鋼の方を見やれば、怒鳴っても無駄だと諦めたのか、彼もまたグラスを口に運んでいた。飲み込んで無言で小さく頷いている様子からすると、黒鋼にとっても満足のいく酒だったようだ。

 と、そこでモコナが行動を起こした。突然「ごばぁっ!」と大口を開けると、自身が手にしていた酒瓶を一本、まるごとその口に吸い込んだのだ。

 一瞬の出来事に、思わずファイも黒鋼も固まる。が、魔法によって巻き起こった風が止んだ瞬間、黒鋼はもの凄い勢いでモコナをつまみ上げた。

「おいコラ、白まんじゅう!てめぇ何してやがる!?」

「えー、だってすっごく美味しくて珍しいお酒だったからー」

「だからって瓶ごと飲む奴があるか!飲むならもっと味わえってんだ、勿体ねぇ!吐け!吐き出せ!代わりに俺が味わってやる!」

「無理だよ黒鋼―」

「っていうか黒様、モコナが吐き出したやつ、ほんとに飲むのー?」

 ファイがからかうように言ったのと、モコナの目が「めきょ!」となったのはほぼ同時だった。モコナの額にある赤い石が発光し、闇夜に映像を結ぶ。

「相変わらずね、黒鋼。モコナを粗末に扱うなって、前にも言ったでしょう?」

「次元の魔女!」

 円形の光の中、長い黒髪を揺らして微笑む女を見て、二人は口を揃えて叫んだ。一人は嫌そうに、一人は飄々と笑って。

 黒鋼の手から逃れテーブルに降り立ったモコナが、嬉しそうに像に向かって言う。

「侑子、お酒届いた!?」

「ええ、美味しそうなお酒を有り難う、モコナ。早速いただくわ。今はどこの国にいるの?」

「ピッフルっていう国!車とか、ちっちゃな飛行機みたいなのがたくさん走ってるの!」

「あぁ。確かにそこは、科学の水準がとても高い国だものね。そしてピッフルのお酒は、種類が少ない分、味にはこだわっているのよ。これはこのお酒も期待できそうね」

「おい、魔女!」

 酒瓶を掲げてゆったりと微笑む女に、黒鋼が声を荒げる。

「てめぇ、白まんじゅうを使って酒を奪いやがったな!?」

「まぁー、人聞きの悪い言い方ね。奪ったんじゃないわ、モコナには元々、こういう能力が備わっているのよ」

「能力、ですかー?」

 尋ねるファイに、ええ、と魔女は頷く。

「異世界の珍しい物、美味しい物を、ちゃーんと選別して見つけて、転送してくれるの。この間も美酒を一本送ってきてくれたし。ほーんと、モコナ達はいい子だわー」

「やーん、モコナ照れちゃうー」

「って、何自分に都合のいい機能つけてんだよ!?」

「あははー、さっすが魔女さんー」

 それぞれの反応に笑った魔女は、前方にテーブルがあるのか、一旦前のめりになる。その身が再び起きた時には、空いていた左手にグラスが握られていた。

「それじゃあ折角だし、私も貴方たちの宴会に参加してあげようかしら」

「何がどうなって『折角』なんだよ!?勝手に決めてんじゃねぇ!」

 断固反対と言わんばかりに、すかさず突っ込む黒鋼を見て、魔女はふふん、と鼻を鳴らす。

「あーら、そんなこと言っていいの?折角この、四月一日お手製作り置きツマミをお裾分けしてあげようと思ったのに」

 言って、魔女が脇に置かれていた重箱を抱えてみせた。中には、紗羅ノ国や夜魔ノ国で出てきそうなツマミが敷き詰められている。それを見た黒鋼の喉仏がハッキリと上下するのを、ファイは視界に留めた。

 一応、自分たちの前にも、買ってきたものやファイが作ったツマミが並んではいる。だが、黒鋼の故国のツマミの味に近いのは、今魔女が抱えている方だと、これまでの旅の中でファイは知っていた。

自分も何度か口にしたから作ってやることは可能なのだが、何しろこの国に売られている食物では材料が違ってくる。結局、モコナ曰くの「洋風」のツマミしか作れずにいた。

 黒鋼が眉間の皺の数を増やしながら訊く。

「……どうせ、何か魂胆があるんだろ」

「失礼ね。ほんとにただのお裾分けよ。あ、その代わり、そっちの美味しそうなツマミ、こっちにも頂戴ね」

「って、それが狙いかっ!」

 こうして、三人と一匹の宴会が始まった。

 

 

 

「あら、モコナったら寝ちゃったのね」

 上空に浮かんでいた月の位置が大分動いた頃。魔女が酔った様子を微塵も見せずに言った。

 もう既に高級な酒の瓶は空になっており、ファイと黒鋼の周りには黒猫ラベルの空き瓶が数本、散乱している。魔女の方の片手も既に、新しい銘柄の酒瓶が次々に出てきては消えを繰り返していた。魔女も相当な酒豪らしい。

「もう結構飲みましたもんねー」

 首に巻いていたスカーフを外して、ファイはテーブル上で横になっているモコナにそれをかけてやりながら言った。

 酒のせいで少しばかり火照っている身体には、時々吹き抜ける夜の風が心地いい。

「それに、物の転送も何回かさせちゃったから、疲れたのかもー」

「あぁ、それは確かにあるかもしれないわね」

「そういや」

 手を休めることなくグイッと酒瓶を煽った黒鋼が、思い出したように言う。

「転送といえば魔女、お前さっき、前にも白まんじゅうから美酒を貰ったとか言ってたな。そりゃどこの国の酒だ?」

 自分の知らないところで美酒などと出会っていたのなら堪らない、とでも思っているのだろうか。尋ねる黒鋼に魔女は、あぁ、と意味ありげに応えた。

「貴方達がつい先日まで争っていた国よ。……修羅の国」

 名を聞いて、思わず肩が揺れた。見れば黒鋼も表情を固いものに変えている。

 忘れるはずもない。自分たちが半年もの間身を置いた国で、いつも罵りと共に挙げられていた敵国名。もっとも、言葉の通じなかったファイにとっては、モコナたちが追いついてくるまで、敵国どころか自分のいる国の名さえ分からなかったのだが。

「貴方達は、夜魔ノ国に落ちたのだったわね。それも、半年も早く」

「……まぁな」

「ああいう風に別々の場所に落ちることって、よくあるものなんですかねー?」

 ファイはいつものヘラリとした顔で尋ねたのだが、対する魔女は少し思案するように黙る。

「そうね……それについては、詳しくは言えないわ。でも、これだけは分かっておいて。モコナは何も悪くない。あの子を責めないであげてちょうだい」

 「モコナ“は”」と言うからには、あれは偶然ではなく何か別の者によって起こった現象ということだ。けれどファイは、そして黒鋼も、それ以上は追求しなかった。魔女が自ら言わないのなら、つまりはそういうことなのだろう。今は触れるべきではない。

 

「……別に、今更過去のことを責める気なんざねぇーよ」

 黒鋼の言葉に、ファイも笑って続けた。

「こうやってちゃんと、またみんな会えたわけだしねー。でも黒りん、直後はモコナに文句言ってたよね?最初から修羅ノ国か夜魔ノ国に落とせばよかったのにって。あれが無ければ今の台詞、かっこよかったのになー」

「かっこよくなくて結構だっ!余計なこと言ってんじゃねぇ!」

吠える黒鋼に、ファイも魔女も笑う。

笑いの対象にされた黒鋼は面白くなさそうに「けっ」と吐き捨て、新しい瓶に手を伸ばした。きっとこの瓶の中身はものの数秒で消え去るな、とファイは横目でその様を見ながら思う。

「それにしても、モコナは凄いですねー。黒たんがさっきの文句言った直後なんですけど、神様の像の中身の剣まで吸い込んじゃって。今日の酒瓶丸ごともびっくりしましたけど、あれも結構衝撃的でしたよー」

「そうなのよー、モコナはどんな大きさのものでも吸い込んじゃうの。凄いでしょ?掃除機なんか目じゃないわ」

「おい、魔女」

 突然の呼びかけに、呼ばれた魔女だけでなくファイも黒鋼を見やった。やはり怒りに任せて飲んだのか、手にした瓶の中身は先ほどのファイの予想通り空になっている。けれど、今浮かんでいる表情は、怒りというよりも怪訝そうなものだ。

「どうかしたか?」

「え?」

「何か引っかかるもんでもあったか、って訊いてんだ。今そういう顔しただろ」

 驚いてファイは魔女を振り返る。彼女はほんの少し、目を見開いていた。が、すぐにいつもの魅惑的な微笑を浮かべる。

「あらいやだ。黒鋼のくせに、生意気ねぇ」

「は!?」

「人の表情読んでる余裕なんてあるの、って言ったの。自分こそ、すーぐ感情が表に出るくせに」

 からかうように笑う魔女に、黒鋼は思わずといった調子でテーブルに両手をつき椅子から立ち上がった。

「何だと!?ひとが気に掛けてやってるってのに!」

「あ!黒様、丁度よかったー。折角立ってくれたし、お酒無くなっちゃったから、冷蔵庫から取ってきてー」

 はーい、と片手を挙げてファイが畳みかけてやると、黒鋼の眉はますます吊り上がる。

「あぁ!?てめ、何どさくさに紛れて言ってやがる!使いっぱかよ!?」

「あ、今黒りん怒ってるー?ほんとだ、わっかりやすーい」

「誰だってこんな理不尽なことされりゃ怒るに決まってんだろーが!表情なんて関係あるかっ!!」

 散々わめいた黒鋼だったが、結局のところ誰かが取りにいかなければ酒は無い。そしてファイがヘラヘラ笑っているばかりで動く様子がないとなれば、自分が動かなければ酒は飲めない。

 それを悟ったのか、諦めたように息を吐いた黒鋼は、肩をいからせズンズンと地響きのしそうな足取りでトレーラーへと向かって行った。

 

 

 

「お礼を言うべき、かしらね」

 離れていく黒鋼の背を見つめていると、ポツリと魔女が言った。ファイは笑って首を振る。

「いいえー。オレの方こそすみません、何かマズイ話題だったみたいで」

「マズイというわけでもないのだけれど。でも、話題を逸らしてもらえて助かったのは事実だわ」

 言って、魔女は一口酒を含んだ。いったいどれだけの量の酒瓶を周囲に用意しているのか、酒の無くなる様子はない。

「驚いたわ。黒鋼があんなに鋭くなってたなんて」

「ええ」

 神の像か、その中身の剣か、あるいは両方か。どれが魔女に引っかかったのかは分からないが、彼女の一瞬の表情の変化を黒鋼は見逃さなかった。直接会話していたファイが気付けなかった程の、小さなその変化を。

「ああ鋭いと、貴方も色々と大変なんじゃない?一緒に旅をしてて」

 意味ありげに笑った魔女の言葉には、曖昧に笑っておいた。どこまで分かっていての言葉なのか分からないのが、恐ろしいと思う。

 魔女がコトリ、とグラスを置いた。

「でも、黒鋼のあの様子を見るに、ピッフル国に来てからそう日数は経ってないんじゃない?」

 彼女の言う「あの様子」がどれを指すのか不明だったが、ファイはとりあえず素直に頷く。

 魔女は「そう。やっぱり」と呟くと、切れ長の目でファイを真っ直ぐに射抜いた。

「この国での出逢い、大切になさい」

「……それは、ここでの出逢いが今後の旅に関係してくるってことですか?」

 問いかけるが、相手は何も答えない。意味ありげな微笑みが、ただそこにある。

「いいんですか?対価も無しにそんな情報、オレ達に与えちゃって」

 質問を変えて問えば、「あら」と笑い含みの声が返ってきた。

「別にこれは、貴方達の旅だけに言えることじゃないわ。『人との出逢いを大切に』なんて、生きていく上で当然のことでしょう?わざわざ対価を取るほどのことではないわ」

「成る程。それもそうですねー」

 互いに笑い合ったところで、その会話は途切れた。ガチャガチャと硝子のぶつかり合う音が響いたからだ。

 音の方に顔を向ければ、黒鋼がトレーラーから出てくるところだった。両腕に抱えられるだけの酒瓶を持っていて、歩くたびに硝子独特の高い音が鳴る。

 この調子じゃ、買い込んだばかりの酒は今夜中に綺麗に無くなりそうだと、ファイは小さく苦笑した。

 

 

 

 

 

あとがき

 玖月さまから頂戴しました、「黒鋼、ファイ、侑子の三人。まじめな話もしつつ、楽しく宴会を開く。」というリクエストで書かせて頂きました。実はこれが初書き侑子さんだったり。(笑)彼女を書くのは何だかすごく緊張しました。

 黒鋼さんが気付いた侑子さんの表情の変化ですが、変化した理由は二人の神を創った事です。対価の二本の剣を受け取った時の侑子さんの表情が印象的だったので、入れてみました。

 そして、「出逢いを大切に」と言っていたのは、知世社長のこと。これは22巻に収録されるであろう169話に関係してくるつもりなのですが、今の時期はまだネタバレになるのでここでは明記しないでおきますね。

 玖月さま、リクエスト、そして応援やお祝いのお言葉、本当に有難うございました!

 

 

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