「太陽となりますように……」 夕陽の差さない曇った夕暮れの中、あの小瓶を掲げてそう口にした。 純粋で真っ直ぐな少年の生き方は、そこから既に始まっていたのか。彼はあの日の言葉通りに育ってくれたと思う。 We need 暖かな日差し。 咲き乱れる花。 飛び回る蝶たち。 「こっちも春だねー」 キャッチボールをしようと出た中庭、隣に並んだ名付け子がしみじみとした口調でそんなことを言った。 「『こっちも』ということは、陛下の所も今は春ですか?」 気持ち良さそうに伸びをする少年を、コンラッドは見下ろす。 彼の名付け子であり主君でもあるその少年は、この世界と異世界を行き来する珍しい存在だ。そして、その二つの世界に流れる時間は違う。だからこその問いだった。 伸びから姿勢を戻した少年が、「うん、そう」と頷く。 「ちょうど年度替りの辺りでさ、みんなバタバタしてるよ。……あと、休憩中にその呼び方はナシって言ったろ、名付け親」 いつものように呆れを含んだ目で見上げられるので、コンラッドもいつもの笑顔でそれを受け止めた。 周囲からは「似たような遣り取りをよく飽きもせず……」などと言われることもあるが、コンラッドはこのお決まりの台詞に飽きる日など永遠にこないだろうと思っている。少なくとも、自分自身は。 「すみません、ユーリ。つい癖で。それより、地球の年度替りは春でしたっけ?俺の記憶だと秋だったように思うんですが」 「へ?秋?」 ミットをはめたユーリがきょとんとした顔で小首を傾げる。が、すぐに「あぁ」と得心したように頷いた。 「そっか、アメリカね。確かにアメリカは九月や十月に年度替りがあるみたいだけど、日本は基本的に四月から新しい年度になるんだ」 「へぇ。国によって違うんですね」 「うん、そうみたい」 自分もユーリに倣ってグローブをはめながら、コンラッドは気になったことを問うてみる。 「では貴方も、最近誰かとの別れや出会いがあったんですか?」 「え?そうだなぁ……。今はまだ春休みだから、出会いは無いかな。別れも、別にまだ卒業じゃないから特には……あー、いや。あったな。草野球で」 ユーリがオーナーとキャプテンとキャッチャーを兼任する草野球チームには、彼よりも年上の大学生や社会人が多い。その中の一人が、仕事の都合上、遠くへ転勤することになったという。当然、草野球チームからも抜けることになった。 「みんなで送別会をしようって話になったんだけど、ほら、監督のおれが高校生だろ?だから気を遣ってくれたみたいで、その人が自分の自宅にチームメンバー全員、招待してくれたんだ。『お世話になったお礼に』って」 お世話になったのはおれの方なんだけどね。呟いて、ユーリは少し寂しげに笑った。 確かに、いくら野球を愛するオーナーがいて、チームを立ち上げたとしても、メンバーが集まらなければ試合をすることは出来ない。参加希望者がいてくれたからこそ、ダンディーライオンズは活動できたのだ。 今では人数も大分集まっているらしい。だから一人抜けたところでチームは存続していけるのだろうが、やはり寂しいことに変わりはないのだろう。俯いてしまったユーリを見かね、コンラッドは少しだけ話題を逸らした。できるだけ明るい声を出す。 「成る程、高校生にお金を使わせまいと、家に招待してくれたんですね。ちなみにその会では、何を御馳走になったんです?本人の手料理か……それとも、奥さんがいらっしゃるとか」 「奥さんだよ。子どももいるんだ、その人。一歳になる子なんだけど、可愛かったなぁ」 思い出したのか、主君に少し笑顔が戻る。それを見てホッとしている自分に気付き、コンラッドは内心だけで苦笑した。 「そうそう、それで出てきた料理が『しし鍋』だったんだよ。おれ初めてでさ、最初ちょっとビビッちゃったよ」 「しし鍋?」 「そう。あ、やっぱりコンラッドも知らない?奥さんが兵庫の人らしくてさ、作ってくれたんだよ。意外と味は淡白で、煮込むほど肉が柔らかくなってさ……――」 流れるようにユーリが語りだす。けれどその説明に耳を傾けながらも、コンラッドは頭の半分では別の思考を巡らせていた。 「しし」と言われれば、自分はアレしか思い浮かばない。しかし地球で、それも日本で、アレは動物園以外にいるのだろうか。 だが、コンラッドのそんな物思いはそう長くは続かなかった。第三者が介入してきたからだ。それも、コンラッドにとって面倒くさい部類に入る者が。 「なになにー?二人で仲よく何のお話してるんですー?グリ江にも教えてー」 「ヨザック!」 主君は驚いたように振り返ったが、コンラッドは決して振り返らなかった。この厄介な幼馴染が、さっきから自分たちの背後に気配を消して立っていたことなどとっくに知っていたからだ。知っていて、あえて無視を貫き通していたというのに、こうも大々的に前に出てこられては無視できなくなるではないか。 心中で文句を並べながら、けれどこのまま振り返らないのも主君に変に思われてしまう。そう判断し、渋々ながら半身を背後へ捻れば、目立つ橙色の髪を風に弄ばれるままにした幼馴染が笑っていた。実に嫌な顔で。 「隊長の過保護っぷりにいい加減ウンザリしちゃったから、隊長を鍋で煮て、ルッテンベルクの獅子と春のお別れをしちゃいましょー!って話?」 いけしゃあしゃあと言ってのけるその男に、どれだけ「ふざけるな」と言ってやりたかったか知れない。が、その言葉が音になる前にユーリに先を越されてしまった。それも、少々ショックな台詞で。 「全然違うよ。っていうか、コンラッドを鍋で煮ようだなんて思わないから」 「……ウンザリの部分は否定してくれないんですか?」 「え!?あっ、ごめん!別に深い意味は……」 慌てたように謝ってくる主君は無論いいとして、クツクツ笑って揺れる橙色にはムッとくる。ユーリに気付かれないように鋭い睨みを送ってやっても、小さく肩を竦めるだけだ。 「それにな、ヨザック。『しし鍋』の『しし』は、猪のことなの。ルッテンベルクの獅子は関係ないから」 「なーんだ、猪ですか」 「えっ、そうなんですか?」 自分もてっきり「獅子」だと思い込んでいたコンラッドの口から、思わず本音が零れた。すると、とうとう背後で幼馴染が、ぶはっ、と大きく噴き出す。そのままケタケタと笑い出すものだから、遂にコンラッドの中で、何かが音を立てて切れた。 「そういえばな、ヨザック」 これでもかと爽やかさ全開の笑顔を浮かべて相手を見てやれば、途端、幼馴染が片頬だけを器用にひくりと動かす。 「陛下のいらっしゃる地球では、『グリエ』という調理法があるそうだ。意味は『網焼き』。お前こそ、網に焼かれて春の別れをしてきたらどうだ?」 笑顔を保ったまま、抑揚のない声で告げてやった。勿論、この程度の台詞でこの男相手に効果があるなんて思ってやしないが、言われっ放しだなんてそれこそ腹が立つ。 そしてやっぱりこの程度でダメージなど受けないらしい男が、大袈裟な動作で少年に泣きついた。 「へいかぁー、聞きましたー!?隊長がグリ江にあんな酷いこと言うー!!」 「自業自得だろ?」 呆れたような困ったようなユーリの返しに、これまた大袈裟に「ガーン」などと嘆いてみせる。いや、今の反応ならば、少しくらいは本当にショックを受けているのかもしれない。残念だったな、と言ってやれば、今度は幼馴染が不満そうな顔をしたので、コンラッドは少しだけ気が済んだ。 そもそも、とコンラッドは思う。 たとえ鍋で煮られようとも、自分は春の別れなんてできないだろう。いや、自分だけじゃない。兄も、弟も、元師匠も、そしてこの幼馴染も。血盟城にいる多くの者が、ユーリと春の別れなんてできやしないのだ。 この若き双黒の少年王と一度出会ってしまったのなら、離れたくなくなるに決まっている。 “太陽”なしで生きられる者など、いるはずがないのだから。 |
お題:「春の別れ」,「しし鍋」 |
あとがき 最近まるマでは硬い話が多かったので、久しぶりに緩い話を……と思ったら、緩み過ぎましたかね?(苦笑)ちなみに、冒頭のコンラッドが小瓶を掲げるシーンは、マニメではなく原作バージョンです。(マニメ派の方にはごめんなさい!) イノシシのお肉って食べたことがないんですよねー。熊本の馬刺しならあるのですけれど。おいしかったです〜。(←って、話がズレてるぞ。) |