負傷者たちの手当てを終えた、 私の血にまみれて汚れた手を取って、 彼女は優しく微笑んだ。 「気持ちのいい指ね」 やかん それは、厨房でやかんに水をたっぷりと注いでいた時だった。 「ど〜も〜!みんな、お疲れ様―」 一際明るい声が響き、周囲がざわついた。その声の主の意外さに、ギーゼラも驚いて振り返る。そこには、全身に黒を纏うこの国の若き君主が笑顔で立っていた。 「おいしそーな匂いがするからさ、ついついまた入ってきちゃいマシタ」 「構いませんよ、陛下。いつでも大歓迎です」 厨房係の者たちも、つられるように笑っている。この様子からすると、陛下自ら厨房や厩舎に出入りしているとういう噂は本当らしい。 「ちょうどよかった。陛下がこの間仰っていたチキュウの料理を試作しているのですが、味をみていただけませんか?」 「あ、ほんとに!?するする!食べたい!」 「わかりました。今持ってきますね」 表情が緩みっぱなしの厨房長が去ると、王の視線がこちらに向いた。 「あれ、ギーゼラじゃん!?どうしたの、珍しいね」 「驚いたのはこちらの方ですわ、陛下。護衛もつけずに」 苦笑すれば、相手もハハ、と少し罰が悪そうに笑う。 「いやぁ、ちょっとした城内散歩というか。そんなことでいちいちコンラッドを呼び出すのも悪いと思って……」 それが護衛の仕事なのに、と思うが口にはしなかった。自分たち臣下の者にもこうして気を配ってくれるのが、この「シブヤ ユーリ」という人物なのだ。 主君は近くの椅子を引いて腰掛けた。味見の受付準備万端、といったところか。 「で、ギーゼラはやかん片手に何してるんだ?カップ麺でも……って、こっちにはそんなもの無いか」 「私ですか?私は使用した器具の消毒用の湯をつくろうと思って」 大きめのやかんを火にかけもう一度主君を振り返れば、彼が卓を挟んで自身と反対側の椅子を示した。 「ギーゼラも座ったら?そんなに量があるなら、沸騰するまで時間かかるだろ?」 「そうですか?では、お言葉に甘えて」 どこまでも気を利かせてくれる主君に内心苦笑しつつ、勧められるまま腰を下ろす。 彼の治療以外でこうして話すことなど、本来は叶わぬことだが、湯が沸騰するまでの僅かな間ならいいだろう。心中でそう、誰にともなく言い訳した。 視線を合わせると、主君は先の話に戻った。 「ところで器具の消毒って……、誰か怪我したのか?」 「ええ。もう治療は済みましたが、兵学校の者たちが訓練中に怪我をしまして。まったく、実戦ではないからと気を抜くからあんなことになるんです。情けない亀未満どもがっ!……ああ、すみません取り乱しまして。とにかく、人数が多かったので、私も一緒に処置にあたりました」 「そ、そう……」 思わず一瞬鬼軍曹が顔を出しかけたせいか、王は表情をこわばらせた。 ちなみに普段ならば、士官のギーゼラは貴族を診ることの方が多い。ただ、今回のように大人数だった場合は、相手が誰であろうと彼女も手を貸していた。無論、手当てをされる側は、噂の鬼軍曹を前に緊張しっぱなしであるが。たとえ、治療中は慈愛に満ちた微笑みを向けられていても。 「陛下、こちらです」 美味しそうな匂いがする湯気と共に、厨房長が皿を運んできた。例の味見の品だろう。 主君は瞬時に目を輝かせた。 「おっ!いい匂い。美味しそー」 いただきます、と丁寧に挨拶し、主君は一口頬張った。瞬間、美味しかったらしく心底幸せそうな顔をする。失礼と知りつつも、思わず小さく笑ってしまった。 本当に、何とわかりやすいひとだろう。 「どうです?できるだけ陛下の仰っていた味にしてみたつもりですが……」 「うん、おいしい!材料が違うのにここまで味が近づけるんだね、凄いよ!……ね、ギーゼラも食べてみて」 興奮したように厨房長に感想を告げた王は、こちらに皿を差し出してきた。 「え?よろしいのですか?」 「勿論。おれの育った所の料理なんだけど、すごく美味いよ!」 そんなに美味しいのなら、自分などに分けずに独りで食べればいいのに。 思いながらも、それは告げずに皿を受け取った。きっと、こうすることが彼の一番嬉しい反応だろうから。 皿の上の料理を、遠慮がちながらも一口含む。気付けば、素直な感想が零れていた。 「……美味しい」 確かに異世界の料理というだけあり、食べたことのない味だった。しかし、口の中に広がったそれは、決して不快なものではなく。温かく、優しい味だった。 こういうものを食べて、この主君は育ったのか。 「とても美味しいです、陛下」 皿を返しながら相手に視線を戻して、ギーゼラはしまった、と思った。 主君の目は、皿を押し戻した自分の両手に向けられていた。さっきまで怪我の手当てをしていた、血だらけの汚れた手に。 「も、申し訳ありません陛下。お食事中にお見苦しいものを……」 慌てて両手を引っ込め、卓の下の両膝にのせた。さっきまで、そうして彼に見せないようにしていたのに。 心中で、自分で自分を鬼軍曹モードで罵っていると。目の前の漆黒の髪が揺らいだ。彼が首を横に振ったのだ。 「そんなことないよ、ギーゼラ。そんなつもりで見てたんじゃない。大変だったんだなぁ〜とは思ったけど、見苦しいだなんて」 言って、主君は優しく微笑んだ。 「むしろおれは、そういうのって『綺麗な手』って言うもんだと思う。それだけ沢山の人を治療したってことじゃん」 瞬間、彼の顔が、あの日の彼女のものと重なった。 『気持ちのいい指ね』 「……陛下、あの魔石を見せていただけますか?」 思い出したら、何故だか無性に見たくなった。 「え?魔石って、これ?」 主君が不思議そうにしながらも、胸元から青色の物体を取り出す。彼の胸の前で揺れるそれは、確かに彼女が身に着けていたもの。 けれど。 「……やはり、同じ色にはならないものですね」 「え?」 ますますもって分からないと小首を傾げてくる主に、ギーゼラは微笑んだ。 「やっぱりこれは、陛下にとてもよくお似合いです」 やかんの中身が沸騰したらしく、背後から蓋がカタカタ鳴る音がした。それは、この場を立ち去らなければならない合図。 普段ならばまだ沸騰しないのかと苛々することさえあるのに、今日はその音が少々憎らしかった。 目の前にいるこのひとと、もう暫く話しをしていたかったから。 やっぱりこのひとは、彼女に似ている。 |
あとがき あまり書いたことがないペアも少しは書かなければ、という謎の義務感から書いたもの。(笑)冒頭の参考は、「いつか(マ)」のヴォルフとギーゼラの会話です。 有利がジュリア嬢に似ているというのは、あくまでもギーゼラがそう感じたというだけなので、それが真実とは限りませんよ? ところで、よくよく考えてみると、医療班にもお湯を沸かす施設ぐらいあるかも……。というか、原作でそう書かれていたとはいえ、「血で汚れた手」って、医療のプロ的に感染症等マズイのでは……。「血で汚れた(手袋をした)手」って意味かな?どちらにしろ、今回書いたこの話、厳密には成立しないのかも……医療って難しいなぁ。(泣) ちなみに、有利の作ってもらっていた料理はご想像にお任せします。(笑) |