「刑事ってーの、や商売だよな」

 あの言葉の意味が、今なら分かる。

 

 

夜明け

 

 

 休憩所の椅子にもたれて、ぼんやりと窓の外を眺めていた。何をするわけでもなく、夜が明けていく様をただただ眺める。

 すぐ傍にある自販機の立てる微かな唸りだけが、その場に響いていた。自販機は自販機で、内部の缶の温度を適切に保つために、ただただ唸り続けている。言うならばそれが、自販機の仕事だ。

 では、自分の仕事は?

「結局 昨夜は、家には戻らなかったのかね?千葉君」

 突然かけられた声にハッとして、顔を上げた。振り返ると、今日もその頭にシャッポを乗せた上司が立っていて。千葉は、ゆっくりと背もたれからその身を離した。

「目暮警部。……ええ」

 力なく笑えば、上司は「そうか」とだけ応え、自販機の前に立つ。財布を取り出し、コインを入れた。

「聞いたよ、昨日の四丁目の事件。犯人は、君が一緒に住んでいた友人だったそうだな」

 背を向けたままの目暮の言葉に、千葉の肩が微かに揺れた。

「ええ」

 頷き、再び俯く。視界に映るのは、汚れた自分の靴と、清掃員によって毎日ピカピカに磨き上げられる床。

 

信じていた。加藤は、殺人を起こすような奴ではないと。

そりゃあ、口が悪かったり、喧嘩することもあったが。それでも加藤はいい奴だった。だからこそ、家に転がり込んできた加藤の居候も許した。

それなのに、ガサ入れを進めるにつれて段々と出てくる矛盾点。物証。そして、諦めた加藤自身の口から語られた真実。

とてもじゃないが、今はあの家に帰る気にはなれない。そんな勇気が、今の自分にはない。

 

「ほれ」

 靴と床だけだった視界に、コーヒーの文字が割って入った。見上げると、目暮が笑う。

「ワシの奢りだ。こんなことは滅多にないぞ?有難く受け取っておけ」

「……はい。有難うございます」

 つられて千葉も小さく笑い、缶を受け取った。ヒヤリとした感覚が手に伝わる。自販機が自らの仕事をしっかりと果たしていた証拠だ。

 一口含むと、苦味と香がジワリと身体に広がった。今更ながら、昨日から何も口にしていなかったことに気付く。加藤の取調べが終わった後は、ずっとこの休憩所で独り、ただ座っていた。普段ならば空腹を感じるはずだろうに、その感覚さえも忘れて。

 それほどまでに、自分は相当精神的に参っているのだと、自覚せざるを得なかった。昨日一日のことが、走馬灯のように脳裏を過ぎる。

「……刑事は、や商売」

 呟けば、隣に腰掛けてコーヒーを飲んでいた上司が「ん?」とこちらを見た。

「長さんがそう言ってたんです。僕が嘘の証言をしていないかを確認した後に」

 あの時は、突然すぎて何を言おうとしていたのか分からなかったが。

 今なら、分かる。

 友人を取り調べた後の、今なら。

「そうですよね。刑事なら、どんな時も、少しでも怪しい相手は疑わなくちゃいけない。たとえその相手が、どんなに仲が良くて、どんなにいい奴でも」

 思わず千葉は、缶を掴んでいない方の手を握り締めた。

 頭では分かっているつもりだった。けれどそれは結局、“つもり”でしかなくて。“理解”してはいなかった。

 桜の代紋を持つことによって負うものは、とても重く、そして深い。最近の自分は、それを失念していたように思う。

 

 カラン、という高い音が響いた。見れば、いつの間にか隣から目暮は消えていて。飲み終えた缶を捨てるゴミ箱の前に、その姿はあった。

「確かに、刑事をやっていく上で、知り合いや友人、時には家族でさえ疑わなくてはならない時というのはあるだろう。確率は低いかもしれないが、絶対にないとは言いきれん。実際、君はこうして昨日、そのような場面に出くわしたのだしな。そしてそれは、とても辛いことだ」

 だがな、と背を向けたままの目暮は言う。

「ワシは、こうも思う。刑事は、その大切な相手を道に導いてやれる存在じゃないかと」

「道に……導く?」

 鸚鵡返しに言えば、振り返った上司が頷いた。

「ああ。道を踏み外してしまった大切な相手が、また元の正しい道に戻れるように導く。一般人なら、その役を警察に任せるしかないだろうが、ワシらは自分自身が刑事だからな」

 言って、目暮は笑う。窓から差し込んできた朝日が、その横顔を眩しく照らし出した。

「君は、信頼していた友人を導いてやれる。見ず知らずの他者に預けることなく、最後まで一緒に君の手で、その友人が正しい道に戻れるように手助けしてやれるだ。刑事には、そういう面もあるじゃないかと、ワシは思う」

「……」

 千葉はただただ、その顔を見上げるしかなかった。

 言いたい言葉がいくつも込み上げてくるのに、そのどれもが喉を通過することはなくて。

 結局、黙ったまま頭を下げることしか出来なかった千葉に、目暮はポン、と一つその肩を叩いて離れていった。

 

 

 目暮がいなくなり、休憩所は再び千葉一人となる。

 自販機は、数分前と変わらずに僅かな唸りを上げていた。ただただそうして、内に納めている缶を適温に保つ。それが、自販機の仕事だ。

 では、自分の仕事は?

 

 千葉は、手にしていたコーヒーを再び口にした。時間が経ったせいか、僅かにぬるい。

 これを飲み干したら、また課室へ戻ろう。そこには、仕事が待っている。

 刑事であり、加藤の友人である自分にしかできない“仕事”が。

 

 千葉が口元へと傾けた缶が、朝日を反射して眩しく光った。

 

 

 

 

 

 

あとがき

 ギャグ要素が欠片もない話は、拙宅のコナン話では珍しいですね。そもそも私の書く千葉刑事は大抵、ギャグ担当になってしまうので…。(苦笑)

 この二人の遣り取りというのは、イメージがわきづらかったのですが、いかがでしたでしょう?皆さんのイメージが壊れていませんように!

 ちなみに裏話(?)としては、この後、課室に戻った千葉刑事は、鳥取に派遣されるのが長さんだと知ってかなり驚く、という顛末があります。(笑)

 

 

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