今日はせっかくいい天気なのに、いつもより風が強くて。 地上から十センチメートル辺りで揺れる私は、突風が吹く度、左右に激しく首を振っていた。 四叶草 本日何度目になるか分からない揺れがおさまった時、それは落ちてきた。風に乗ってフワリフワリと飛んできた、薄桃色のハンカチ。それが、私の真横にパサ、と着地する。 間をおかずに、人間の走ってくる足音も近付いてきた。 「あ。はっけーん」 現れたのは、細身の体躯の青年。輝く金の髪を風に弄ばれるままにしながら、笑顔でこちら――というより、隣で存在を主張する薄桃色に駆け寄ってくる。 「ようやく捕まえたー」などと言いながら、それを拾い上げようとした青年の蒼い目が、ちらりと私に向いた。瞬間、「あっ!」と彼はその顔を輝かせる。 まずい。 「ファイさーん!」 私が身構えるのと、その声が響いたのは同時だった。 少女特有の高い声。続いて、駆けてくる足音も近付いてくる。今度は、翡翠色の瞳を持つ、可愛らしい少女の姿が見えた。 「サクラちゃーん、こっちこっちー!」 「あったんですか!?」 「うん、無事に捕まえたよー」 『ファイさん』と呼ばれた青年が、手にしたハンカチをヒラヒラと振れば、少女は安心したように小さく息を吐いた。 必死に走ってきたらしく、茶の髪が風に吹かれて少々乱れている。 「よかった。ごめんなさい、元はといえばわたしの干し方が悪かったのに、ファイさんまでつき合わせてしまって」 「そんなことないよー。オレもちゃんと、今日は普段より多めの洗濯バサミを使った方がいいって言っておけばよかったねぇ」 「サクラちゃん一人に洗濯物させちゃって、ごめんねー」と苦笑する青年。 今の会話からするに、少女がこのハンカチを一つか二つの洗濯バサミでしか止めなかったのだろう。洗濯バサミの力は案外弱いということを知らなかったのだろうか。それに、見た目からしても手触りのよさそうなハンカチだから、今日のような風の強い日は余計にハサミから抜け出し易いはずだ。 「ねぇ、それよりサクラちゃ……――」 「どうして、わたしってこうなんでしょう」 何かを言いかけていた青年は、こちらを指差していた。おそらく、この少女に私の存在を教えようとしたのだろう。 けれど俯く少女の耳には入っていなかったのか、その言葉は、彼女の声に遮られる。 「サクラちゃん?」 「わたし、すぐに眠ってしまうし、皆さんのように戦ったりもできないから、せめて家事で皆さんのお役に立ちたいのに。……なのに、失敗ばかりで……」 「そんな。失敗ばかりってわけじゃ……」 「いいえ。昨夜だってわたし、お料理焦がして、お魚五匹を無駄にしちゃったじゃないですか」 「あー……、まぁ、確かに……」 歯切れの悪い青年の反応を見るに、どうやら本当の話のようだ。 少女の目に、薄っすらと涙が浮かぶ。背の高い青年に見えているかは分からないが、彼女が俯いているため、私にはハッキリと見えた。 「わたしも、皆さんの助けになりたいのに……」 ぐっと握り締めた手のせいで、せっかくの可愛らしい服に皺が寄る。 とうとうその大きな翡翠の目から、雫が落ちるかと思った時。 青年が突然、暢気な声を上げた。 「あ〜あ。結構走ったから、疲れちゃったなー。ちょっとここで休憩しない?」 言うが早いか、少女の返事も待たずに、彼はそのまま背中からこちらにダイブしてくる。おかげで私は、危うく潰されそうになった。 ……まぁ、もっとも、彼はわざと私の隣に寝転んだのだろうが。 「ね、サクラちゃんも一緒に休憩しようよー。こうやってたら、いちいち首を上に向けなくても、空が見られるよー。あ!ほら、風が強いせいか、雲がどんどん流れてくー」 少々怪訝そうに立っていた少女だったが、へらへら顔の男に「早く早くー」としつこく急かされ、彼女もまた、ゆっくりと寝転んだ。 私の左隣にいる彼が指差す、私の右隣に。 「う……わ……」 こぼれたのは、感嘆の声。元々大きな瞳を益々大きくして、少女は空を見詰める。 「ねー、速いでしょ?」 「はい、凄いです!いつもよりずっと速く雲が流れてる」 相変わらず間を空けては、忘れた頃にゴオッ、と吹き抜けていく強い風。 私が揺れるのに合わせて、両隣の人間の髪も揺れた。 いや。私が、二人の髪の揺れに合わせているのか。 「あのさ、サクラちゃん」 少女に僅かに笑顔が戻ったのを見て取ってか。金の髪の青年が、ゆっくりと口を開いた。 「失敗しないと分からない事っていうのも、あるんじゃないかなぁ」 「え?」 驚いたように瞬きする少女に笑うと、青年は体を反転させ、腹ばいになる。 「確かに、いつも問題なく歩き続けていられたら、それはもちろんいいことだけど。でも、躓いて、転んでみて初めて、見えるものもあると思う。今みたいな地面ギリギリの、いつもと違う視点で世の中を見たら、普通に歩いていたら気付けないようなものに気付けるかもしれない。例えば……」 頬杖をついていた両手のうち、片方を外し。彼は白くて長い指で、私を差した。 「これとか、ね」 つられるように、少女も体を反転させてこちらを見下ろす。 「……葉っぱ?」 「あれ?知らない?これはね、四葉のクローバー」 青年が正しく私の名前を言い当てると、少女も覚えがあったのか、「あっ」と小さく声を漏らした。 「白詰草(クローバー)って確か、桜都国でファイさんたちが新種の鬼児の情報を聞きに行った……」 「そう、あのお店とおんなじ名前―。あそこのバーテンダーさんに教えてもらったんだー。こういう四葉って、見つけられるのは十万分の一の確率なんだって」 「そういえば、確かに周りには三葉ばかりですね……」 翡翠の瞳が、私の周囲を見渡す。 「そう。だからとっても珍しくて、幸せをもたらす葉っぱっていわれてるんだってー」 素敵ですね、と呟く少女に、青年はそっと笑いかけた。 「サクラちゃんに、幸せなことが一杯ありますように」 だから元気を出して、と。言外に含まれたそれは、私でも分かった。 対する少女にも、それはちゃんと伝わったらしく。はにかみながらも嬉しそうに笑い。 「はい、ありがとうございます。ファイさんにも、幸せが一杯いっぱいありますように」 真っ直ぐな瞳で、そう告げた。 言われた青年は、なぜか一瞬瞠目したが。「ありがとう」と、こちらもすぐに微笑み返していた。 「さて。そろそろ戻ろうかー」 金髪の青年が立ち上がり、私の左側はポッカリと空く。彼は一つ大きく背伸びをすると、少女を振り返った。 「はい」 私の右側にいた少女も、笑顔で頷いて立ち上がる。服の前後に付いた草を払う彼女を手伝ってやりながら、青年は大海を思わせる蒼い瞳を私に向けた。 「それで、どうする?サクラちゃん」 「え?」 「あの四葉。持って帰って、押し花みたいにでもする?」 それは、私が最も恐れていた言葉。人間に摘まれるとこはつまり、私の体が引き千切られるということだ。 けれど、私はその青年の言葉に少々違和感を覚えた。どうにも彼は、本気で少女に問いかけている感じではない。言うならば、初めから返ってくる答えが分かっているかのような。 そして少女の返事も、これまた私の予想外のものだった。 「いえ。あの四葉は、このままで」 「摘んじゃうのが可哀想?」 「それもありますけど、ここに残しておけば、また別の人がこれを発見して、その人も幸せになれるかもしれませんから。摘んでしまって わたしだけ幸せになるより、そっちの方がずっといいです」 とんでもない人間もいたものだ。私は感心を通り越して呆れてしまった。 四葉として生まれた時から、人間に見つかったらそれが最期の時だと、覚悟を決めてきたというのに。 こんな考えを持つ人間がいるなんて。 見知らぬ誰かの幸せを願う人間が―――いるなんて。 「ごめんなさい、せっかくわたしのためを思って言って下さったのに」 ペコ、と。青年への謝罪も忘れない少女に、彼は笑いながら片手を振った。 「いーの、いーの。サクラちゃんならそう言うだろうと思ってたから」 「え!?」 「サクラちゃんのそういう優しさに、小狼君も黒様もモコナもオレも、みーんな“助けられてる”ってこと」 照れと驚きとで顔を朱に染める少女に、軽くウィンクをして。 青年は彼女の小さな背中をそっと押す。 「ささ、帰ろー。きっとみんなも、心配して待ってるよー」 風に吹かれる、金と、茶と、薄桃色。 少しずつ離れていくその姿を見ながら、祈った。 私に本当に、人を幸福にする力があるのなら。 風が、二人にとって追い風となるように。 この温かな二人に、 そして、そんな彼らの帰りを待っているという『みんな』に、 ―――数多の幸あれ、と。 |
あとがき 擬人化の文章に初挑戦してみましたが、いかがでしたでしょう?判り辛かったらごめんなさいー。 今回の話を書くにあたって、改めてシロツメクサについて調べてみたら、高さが10〜25cmとあって驚きました。イメージより結構高いんですね。 それからタイトルですが、クローバーを中国語では「三叶草」と書くそうで、それを基にした造語となっています。 |