おれが甲板に出た時には、そこにはもうコンラッドしかいなくて。 オレンジの髪が眩しいお庭番は、どこにも見当たらなかった。 「あれ?さっきまでヨザックと一緒じゃなかった?」 「あいつは、陛下のご下命を果たしに行きました」 「あ〜、そっか。何か、急かして悪かったかな」 そう呟いたおれに、「名誉なことだと喜んでた」なんてコンラッドは言ったけど。とても信じられなかった。仕事はきちんとしてくれるだろうが、「名誉」だなんて。 おれの命令を引き受けてはくれたけれど、彼がおれをどこまで信用してくれたのか、認めてくれたのか、ハッキリとはまだ分からない。彼自身のことだって、分かったような分からないような……いや、やっぱり分からないことの方が多い。 だからこそ、会ってもう一度、彼がおれをどんな目で見るのかを確認したかったのに。結局それは叶わないまま、魔剣探しの旅は幕を閉じた。 造壁の主はどちらか 「陛……いや、ユーリ」 「ん?」 自室に入る間際。いつものように朝トレに付き合ってくれた名付け親に名を呼ばれ、振り返る。 嫌味な程に息一つ乱れていないのは相変わらずだが、コンラッドの表情は普段より少し陰っていた。というより、不安そう? 「実は今日一日、俺は城を離れなければならなくなって」 「へ?何か仕事?」 「ええ、今朝突然入って。ですから、今日の護衛は……――」 「あぁ、いいって別に。ギュンターやグウェンダルはいるんだろ?それに城内じゃ、そうそう危険なことも無いでしょ。そんなに不安そうにしなくても大丈夫だって」 笑ってポン、と軽く握った拳で相手の腕を叩いてやるが、コンラッドは首を振る。 「いや、いくらユーリがそう言ってくれても、やはり貴方を一人で歩かせるわけにはいかない。代わりと言っては何ですが、今日の護衛はヨザックに頼んでおきました」 「……へ?」 久しぶりに聞くその名に、記憶の糸を手繰り寄せる。 「えーっと、ヨザックって……モルギフ探しの時に協力してくれた、あんたの幼馴染のミス・上腕二頭筋?」 「ええ。あの慇懃無礼な女装癖男です」 「いや、そこまでは言ってないけど」 この名付け親は、何故か幼馴染の話題になると毒舌になるような気がするのは気のせいか。笑顔は相変わらず爽やかなままなのに。 「とにかく、俺は今から出立の準備があるので、今日はこれで」 「ん、お疲れ。ほんとにおれのことは心配しなくていいから」 おれの言葉に続くように、背後のベッドから「ぼくもついてるぞー」という金髪美少年の眠そうな声が上がり。コンラッドは小さく笑い声を漏らすと、静かに部屋の扉を閉めた。 「ヨザック……か」 閉まった扉から床へと視線を落とし、ぽつりとその名を呟く。諜報員としてあちこち飛び回っているらしい彼とは、会うのは今日で二度目となる。 初めて会ったのは前回、魔剣を探しにヴァン・ダー・ヴィーア島へと向かった時だ。 『たとえどんなお方が魔王になられても、オレたちは黙って従うだけだ。兵士も民も子供もみんな、王を信じて従うだけなんですよ』 『ちょっと準備がしたかっただけさ。もしあの坊やが前王と同じなら、オレたち兵隊は覚悟を決めなきゃならん。黙って死ににいく覚悟をな』 『あんなお子様みたいな陛下に任せといたら、この国はどうなるか判んねーぞ!?背後からうまーく舵とりゃいいんだよ。陛下だってその方が楽なはずだ』 正直に言って、旅の間のヨザックから見たおれの評価は最悪だろう。数々の彼の言動が、それを物語っている。 でもそれも仕方が無いと思う。あの時のおれは、王としての自覚が全然足りなかったし、コンラッドのようにおれを信じてくれている人たちの気持ちなんて、考えてもいなかった。 でも、今はあの頃よりは少しは進歩した……と思っている。本当に少しだけど。 別に敬われたいとか、傅かれたいわけじゃないが、信じてもらいたいとは思う。そんなことを考えている時点でへなちょこなのかもしれないけど、王となってまだまだ日の浅いおれとしては、一人でも多くの味方が欲しいし、信頼も得ておきたい。 だったら。 「ある意味、今日はチャンスなのかも」 人の印象を変えるなら、できるだけ早い方がいい。今日を頑張れば、もしかしたらダメ王様っぷりを少しは返上できるかもしれない。 「よし!」 おれは小さく呟き、拳を握った。 が、おれのそんな決意はあっという間に玉砕した。 「陛下の本日の日程はどうなってるんです?」 「え゛っ?」 部屋まで迎えにきたギュンターとヨザックの二人と共に、勉強部屋へ向かっていると。お庭番に尋ねられた。 「護衛としては、陛下の本日の行動を把握しておきたいんですけどね」 「うー、あー、えーっと……。まずはとりあえず勉強で、その後は……」 「本日は公務もだいぶ溜まっておりますので、勉強は朝のうちに済ませ、昼からは執務をしていただきます。今のところ、来客等の予定は入っておりません」 忘れがちだが本来は有能なひとであるギュンターが、おれの代わりにサラリと答えてしまう。相槌をうつお庭番の視線も、もうすっかり王佐に向いていた。勿論、おれは眼中にナシ。 自業自得とはいえ、思わず小さな溜め息が出た。スケジュール管理を全て人任せにしていた自分が悪いとはいえ、いきなりまたまた悪印象を与えてしまうとは。 そんなこんなで出鼻から挫かれたおれの決意は、その後だんだんと崩れていく。 午前中の、相変わらずギュンターが独りで爆走するスパルタ教育。昼飯を食べただけですぐに取り掛かる羽目になった執務も、優秀な王佐の言葉通り山積みで。やってもやっても書類の数が減っている気がしない。 正直、子供がおやつを食べたくなるような時刻には、運動大好きなおれはもう、ヘロヘロだった。 「はぁーっ、だめ!もう限界!ちょっと身体動かしに行こうぜ、コンラ……あ゛っ」 未だに慣れない羽ペンを投げ出したおれは、固まった。無論、言ってから後悔したところで、発した言葉を無しには出来ないのだが。 いつもの癖で見やった先に座るのは、青い瞳を持つ男。彼は表情一つ変えずに淡々と言う。 「オレは別に構いやしませんけど、いいんですか?まだ書類、半分近く残ってますケド」 「う゛っ……」 「逃げたって、結局はやらなきゃならん時が来るんですよ?それが早く来るか遅く来るかの違いだけで」 「……」 正論過ぎて返す言葉もない。おれは渋々作業を再開した。 こんな時、あの名付け親だったら「そうですね。少し気晴らしをすれば、また作業の能率も上がるかもしれない」とか何とか言って、キャッチボールぐらいはできる展開にしてくれるのに。 ここまでくればもうすっかり、おれの中での「へなちょこ王様の汚名返上」計画など消え去っていた。そんな気力も無かったし、今更挽回できるとも思えない。おれはただひたすらに、異国の文字の読解と、自分のサイン書きを続けた。 が。しばらくすると、お庭番は突然席を立った。何事かと顔を上げたおれには目もくれず、彼はおれの斜め前の机に座るグウェンダルの元へと向かう。 「何だ」 視線を上げた前魔王の長男は、相変わらずの不機嫌そうな重低音を発した。……どうか、おれがいちいち読めない文字や政策の概要を尋ねるが故の不機嫌ではありませんように。 「閣下、ちょーっと……――」 身をかがめたヨザックは、小声で何やらグウェンダルに告げる。 ほとんど聞こえなかったが、「ここを任せてもいいですかね?」という声は聞き取れた。そしてそれは聞き間違いではなかったらしく、グウェンダルが頷くと、彼はそのまま部屋を出て行ってしまう。 静かに閉まった扉に、思わず本音が零れた。 「何だ、自分はどっか行っちゃうのかよ」 不満半分、羨ましさ半分のそれは、呟きのつもりだったのだが。斜め前からギロリ、と効果音がしそうな鋭さで寄越された視線で、自分の失態に気付いた。 「す、すみませんデシタ!あんたの大事な部下に文句言ってごめんなサイ!!」 目が合って、慌てて頭を下げたが。相手は小さく鼻で笑い、一言口にしただけだった。 「分かっていないな、お前は」 「……へ?」 訊き返したが、グウェンダルはそれ以上こちらを向いてはくれず。こうなれば、何を訊いたって彼が答えてくれるはずもない。スヴェレラ逃避行等で、それぐらいはグウェンのことも分かるようになった。 仕方なく、おれも再び書類に視線を戻した。 「お……終わったー」 最後の書類をチェック済みの山に載せたおれは、本能の命じるままに、部屋の隅の長椅子にダイブした。 長かった書類との戦いが、ようやく終わった。達成感と同時に、どっと疲労感が押し寄せてくる。もう しばらく文字は見たくないし、書きたくもない。国政を司る男からの「情けない」と言わんばかりの視線も頂戴するが、やり終えたのだから文句は言われないだろう。 腹ばいになったまま、一つ大きく伸びをしたのと、コンコンという軽いノックの音が響いたのはほぼ同時だった。 「失礼しまーす」 現れたオレンジ色の髪に、おれは慌てて飛び起きた。悪いことをしているわけでもないのに、どうにも挙動不審になる。 「いっ、言っとくけどな、ヨザック。おれ全部ちゃんと執務は終わった……――」 「おや。そりゃ丁度よかった」 「は?」 てっきりまた、「終わったからって、だらしなくしていいとは限らない」みたいな厳しいことを言われるかと思ったが、身構えたのが馬鹿みたいに、相手から返ってきたのは笑顔。 不思議に思いお庭番をよく見れば、彼は片手に盆を乗せていた。そこには、半透明の液体が入ったグラス。ヨザックがそれを、長椅子とセットになっているテーブルに置く。どうやらおれにらしい。 「はい、どーぞ。お疲れ様でした」 「あ……ど、どうも」 まだ頭が軽く混乱した状態で、勧められるままにグラスに口をつけた。 「うまっ!」 広がったのは、懐かしい味。 小学生や中学生の頃、野球の練習時によく世話になった……。 「っていうか、この味は水瓶座な飲み物じゃ……」 「はい?」 「あーっ、いや。何でもない。それよりこれ、ほんと美味いよ!ヨザックが作ったの?」 「ええ。疲れたときにいいんですよん」 「でもこれって、頭脳労働よりも運動の後に飲むべきなんじゃ……」 「は?」 「あーっ、いや!ほんとに何でもないデス!」 誤魔化すように、一気にグラスの中身を飲み干した。 野球の、特に夏の水分補給を思い出すその味は、今のおれにとって、なかなかに効果的だったらしく。疲れがすうっ、と抜けていくのを感じた。やっぱり長年慣れたものには、身体は反応しやすいのかもしれない。 空になったグラスに視線を戻したおれは、ふと思った。さっき途中で席を立ったお庭番はおそらく、後どれくらいでおれの執務が終わるのかを見計らい、これを作りに行ってくれたのだろう。―――おれの為に。 けれど自分はあの時、何を思った? 『何だ、自分はどっか行っちゃうのかよ』 『分かっていないな、お前は』 「……ごめんな」 突然呟いたおれに、お庭番の青い瞳が「何が?」と問いかけてくる。けれど、真実を言うつもりも、それだけの勇気もおれは持ち合わせていなくて。 「気にしないで。ちょっと、言っておきたかっただけ」 曖昧に笑えば、相手は「変な坊ちゃん〜」と豪快に笑った。 おれはそれまで、ヨザックがおれを嫌がっているのだろうと思っていた。 だけど本当は、おれ自身がそう思い込んで勝手に苦手意識を持っていたんだ。――そう、彼との間に先に壁を造ったのは、おれの方。 ヨザックの辛辣な言葉も、嫌じゃないと言えば嘘になる。でもそれは、あまりにも普段、周囲におれの意見を無条件に受け入れてくれる人が多くて、それに慣れてしまっているからで。ヨザックの言葉はいつだって正論で、嘘はない。 きっと、こういうひともおれには必要なんだ。 厳しくても、現実を教えてくれる存在が。 これは後から分かったことだけど。ヨザックはあの日のおれの失態を、何とも思っていなかったらしい。 自分のスケジュールを全然把握していなかったのも、 「そりゃそうでしょう。自分の日程をきっちり把握してる王様なんて、世の中そうそういやしませんよ。どこの国にも大抵、ぎゅぎゅぎゅ閣下みたいな日程調整係りがいますからねー。もっとひどい人任せ王もいますよ?」 「じゃっ、じゃあ、何であの時おれに訊いたの!?直接ギュンターに訊けばよかったじゃん!?」 「そりゃ無理ってものよ、坊ちゃん。そこに陛下がいるのに、陛下をすっ飛ばして閣下に直接訊くなんて、不敬になっちゃう。坊ちゃんに尋ねることで、暗にぎゅぎゅぎゅ閣下に尋ねてることを表わしてるんですよ」 「……そんなもんなの?」 「ええ、そんなもんです」 おれが執務の途中で音(ね)をあげたのも、 「あれだけの量があれば、仕方ないんじゃないですか?オレだったらきっと、五枚も過ぎればブツブツ言い出しちゃう。まぁ、あの時は臣下としてきつめのことを言わせてもらいましたけど、個人的には坊ちゃんは耐えてた方だと思いますよ?そもそも、あれは陛下にとっちゃ不慣れな異国の文章でしょう?それを理由にして適当に読み流すこともできるのに、分からないところはちゃんとグウェンダル閣下に訊いて理解しようとしてるし。寧ろ充分すぎますよ」 「……」 本当に、自分の勝手な思い込みだったのだと思い知らされる。 独りで気にして馬鹿みたいだ、と思う反面、嫌われていなかったんだとホッとしている自分もいて。 「ここでもおれ、壁を造っちゃってたんだな」 「壁?何のことです?」 「ううん、大丈夫。安心して。もうおれ、壁は造らないからな」 「……あのー、坊ちゃん?ちっとも訳が判らないんですが」 その言葉通り、その後おれがヨザックとの間に見えない壁を造ることは無かったし、向こうから造られたことも多分無かった思う。 ――数ヵ月後、目に見える厚い石壁が、天井からおれたちの間に落ちてはきたけれど。 |
あとがき ……自分でもビックリな終わり方になりました。冒頭はCDドラマ、ラストは「宝(マ)」ネタを使用しております。 今更という感じもしますが、書いておきたかったんです、有利がお庭番を再認識する話を。これとは別に、お庭番が有利を再認識する(というか、こちらの場合はますます見直す?)話もあります。いつ日の目をみるのかは……。(遠い目) 最後の方でヨザックが「不敬になっちゃう」と言っていますが、これは管理人の捏造で、本当のところがどうなのかはちょっと不明です。もっと言うなら、次男閣下が引き継ぎみたいな形で庭番にスケジュールを伝えておくべきかもしれません。……まぁ、次男はそれをする暇もなかったぐらい急な仕事だった、ということでお願いします。(苦笑) |