Pledge(前)

 

 

「おはようございまーす!……って、ん?」

 常のごとく、あいさつと共に警視庁捜査一課に出勤してきた刑事・高木。が、一課の入り口で彼は立ち止まる。

どうにも一課に流れる空気が重い。いつも活発でやる気に満ちている……とは言わないが、ここまで暗かっただろうか?見渡す限り、ほとんどの刑事は、「はあ……」というため息と共にうなだれている。

平然としているのは、中央前方の警部席に座った目暮ぐらいだろうか。

―――何事だ?

不審に思いながらも、とりあえず自分のデスクへと向かう。

と、途中で声がかかった。

 

「あっ、おはようございます、高木さん」

「おっ、千葉」

 食べかけのあんパン片手に振り向いたのは、後輩刑事の千葉。その顔から察するに、彼も特にダメージは受けていないようだ。

「早速で悪いんすけど、一丁目でこの前の通り魔犯らしき男を見たという情報が入って、僕と高木さんで張り込むように、とのことです」

「それは構わないけど、何なんだ?この雰囲……あれ?」

 話しながらデスクに着こうとした高木は、思わず声を上げた。彼の隣のデスクにいるはずの人物が見当たらない。

「千葉、佐藤さんどうしたんだ?昨日は当直だったから、朝まで課にいるはずだろ?何か事件でも……」

「あぁ。佐藤さんなら何か、昨夜熱が出たらしくて……」

「えぇっ?!佐藤さんが熱?!」

 思わず上げた声に、さっきまで落ち込んでいたはずの周りの刑事たちがギロ、と一斉に鋭い視線を向ける。

「……すっ、すみま……せんっ……」

 しどろもどろに高木が謝ると、刑事たちはまた、「はあ〜……」とため息をつきつつ高木に背を向けた。

―――そういうこと……か。

 高木は独り納得する。どうやら彼らのひどい落ち込み様の原因は、佐藤がいないことにあるらしい。

 一課の紅一点、佐藤美和子警部補は、その実力もさることながら、かなりの美人。一課の男たちのアイドル的存在であることは言うまでもない。そんな彼女が休みとなれば、彼らが意気消沈するのも無理はない。

もちろん、高木もそんな彼らの一人となるのだが。

「そうかぁ。佐藤さん休みなのかぁ……」

 ついつい周囲につられてため息をついてしまう。

「でも、珍しいなぁ。あの佐藤さんが風邪ひくなんて……」

 

『犯人はこっちの体調なんて考えてくれないのよ。刑事は健康第一!』

 

前に彼女がそんなことを言っていた。そう言うだけあって、彼女が風邪をひくなど無いに等しかったのだが。

 すると、花より団子な男・千葉が、あんパンの残りを口に放り込みつつ言う。

「ほら、佐藤さん一昨日、麻薬の密売人の取調べをされてたじゃないですか」

「ん?……ああ!なかなか元締めの名前を言わなくて、ほぼ一日かかった……ってやつか」

「ええ。それがあの被疑者、実は風邪ひいてたらしいんすよ。それで、一日中ねばって被疑者と睨み合ってた佐藤さんに、その風邪がうつったんだと……」

「そういうことか……」

 言われてみれば確かに、あの男は連行されてきた時に咳をしていた。高木はてっきり薬(ヤク)の副作用かと思っていたが……。

 

「あの男……」

「へっ?!」

 不意に聞こえた低い声に、高木は飛び上がった。さっきまでため息をついていた仲間たちの一人だ。

「よくも俺たちの美和ちゃんを……っ」

「今度のこのこ一課に来てみろ……、ただじゃおかねぇ……!」

 更に隣に座った刑事も低く続ける。おそらくこの課……いや、本庁中の男たちほとんどが、同じ気持ちなのだろう。

「は……、はは……」

 そのあまりの迫力に、「もう留置場行きになってるんですから、ここには来ないと思いますよ」なんてツッコミは絶対に言えない高木であった……。

 

 

 

「あ〜あ。何なんだよ今日は……」

 仕事用車のスカイラインを運転しつつ、高木は「はあ〜」とため息をついた。

「そうっすよね。まさかガセネタだったとは……」

千葉までもが軽く肩を落としている。まぁ、片手にしっかりとカレーパンを握っているのが彼らしいが。

 

どうやら通り魔犯目撃の情報は勘違いだったらしい。無駄足を踏まされた刑事二人は、どんよりモードで警視庁へと車を走らせる。

 

―――そういえばこの辺、佐藤さんのマンションの近くだよな……。

 流れていく住宅街の風景を横目に、高木がふとそんなことを思った時。

「きゃーっ!!」

「?!」

「?!」

 すかさず強くブレーキを踏む。

「まさか……」

「通り魔?!」

顔を見合わせるが早いか、二人は車外へと飛び出した。声のした方へと全速力で走る。

角を曲がると、買い物袋を提げた中年の女が一人、路上に倒れていた。

「警察です!何があったんです?!」

「あ……あの男に、財布を……」

「え?」

 女の指差す方向を見ると、いかにも怪しい全身黒ずくめの男が慌てて逃げて行くところだった。

「通り魔じゃないみたいっすね」

「兎に角、追うぞ!」

 そう。ひったくりだって立派な犯罪。放っておけるはずもない。

 婦人に怪我がないことを確認すると、そこで待っていて下さい、と言い置き再び走り出した。

 

 

「待てっ!」

前方を走っていく男の背に思いっきり叫ぶ。

走り出してどれくらいたっただろうか?足には自信のある高木だが、さっき婦人の相手をしたことがロスになり、なかなか追いつくことができずにいた。

―――くそっ!ここで逃がしたらあの人の財布が……!

 だんだん焦り始めた時。男が、もう幾つ目になるか分からない曲がり角を曲がった。

「待てーっ!」

 姿の見えなくなった相手に、再び叫ぶ。 と、その時。

「オラァ!」

「?!」

 聞き覚えのある声に、高木の足が一瞬止まった。

―――この声……、まさか?!

頭に一人の人物が浮かぶ。

彼女のはずがない。けれど……。

心当たりを確かめるべく、再び走り、急いで角を曲がった。と、

「ああっ?!」

 そこにはまさしく、予想通りの光景が展開されていた。

 今しがた追いかけていた男は、地面に後ろ手に押さえ込まれており、その男の上に乗っているのは……。

「佐藤さんっ!!」

「あら、高木君。千葉君も」

 思わず叫んだ高木とは対照的に、呼ばれた本人は暢気な声を上げる。

「熱ある人が何やってるんですかっ?!」

「そんなことより、時間」

「え?あ、はい。ええっと……十三時二十一分、被疑者確保っと。千葉、手錠頼む」

 相手の冷静な声にハッと我に返り、慌てて手帳に時間を書き込むと、一足遅れてきた後輩に指示を出す。

「でもほんと、こんな所で何やってるんですか?家で寝てなくちゃ……」

「何って、病院に行ってきたのよ。ほら」

 千葉に被疑者を引き渡しつつ、佐藤が右手の薬局の袋を掲げてみせる。

「そうしたら、いきなり『待て!』って声が聞こえて、振り向いたらいかにも怪しげなこの男が走ってきたから、思わず……ね」

「条件反射で、投げ技に後固め、ですか?」

 尊敬を通り越し、少々呆れ顔で言う高木に、佐藤は誤魔化すように笑う。

「まぁ、そんなところ。でも、さすがに熱があると、いつもの動作も辛いわね……――っ!」

「?!佐藤さんっ!!」

 立ち上がろうとした瞬間、彼女の体が大きく揺らいだ。慌てて高木が受け止める。思わず千葉も声をかけた。

「だ、大丈夫ですか?!」

「ああ。気を失ってるだけみたいだ」

 やはり熱のある体にはきつかったのだろう。腕の中の佐藤の双眸は、すでに閉じられていた。

「まったく……。熱があるのに無茶するから……」

 気が付くと、高木は独り呟いていた。顔は苦笑といったところだが、高木のその目は少し悲しそうで。

けれど、佐藤はもちろん、傍にいた千葉さえも、そのことには気付かなかった。

「高木さん、何か言いました?」

「え? あっ、いや……。何でもない。 それより千葉、悪いけど……」

「分かってますよ」

傍らの後輩を見上げると、彼は笑って答える。

「引致と弁解録取は俺がやっときますから、高木さんは佐藤さんを家まで送ってきてあげて下さい」

「悪いな、千葉。今度、お前の好きなチーズバーガー奢ってやるからな」

本当はただのハンバーガーと言いたいところだが、ここは奮発しておこう。

気が利く後輩に片手を上げて謝罪を述べると、佐藤を背負い、足早に歩き出す。するとその背に、千葉が思い出したように慌てて叫んだ。

「あっ、高木さーん!チーズバーガーよりも、ダブルチーズバーガーの方がいいですーっ!!」

「……」

 懐の寂しい高木が、千葉のその叫びを聞こえなかったことにしたのは、言うまでもない。

 

 

 

ピンポーン。

 玄関のチャイムを押すと、中から、

「はーい。どちら様ですか?」

との声が聞こえてきた。

「こんにちはーっ。警視庁の高木ですー」

「あら、高木さん?」

 ドアに向かって叫ぶと、驚いた声と共に、ガチャ、とカギの空く音がした。

「ごめんなさいね。美和子今、病院に……って、美和子?!」

 ドアから顔を出した佐藤の母は、高木に背負われた我が子を見て目を見開く。

「何かあったんですか?!」

「ええ。実は、僕たちが追っていたひったくりを、病院帰りの佐藤さんが無理して捕まえてくれたんです。それで……」

 それを聞いた彼女は、ほっとしたように胸を撫で下ろす。

「ああ、そうだったの。まったく、この子ったらすぐ無茶して……。結局、こうして高木さんや皆さんにご迷惑かけるのにねぇ」

 困ったように笑う母に、高木は思いっきりブンブンと首を横に振る。

「いっ、いえ!迷惑だなんてそんな!……僕が全然ダメなんです。いっつも佐藤さんの足を引っ張っちゃって……」

そう。いつも先に走り出すのは佐藤。

 

『追うわよっ、高木君!』

 

そう言って走り出す背中を、もう何度見ただろう?

走り出すのも、捕まえるのも、いつだって佐藤が先だ。事件となれば、自分の身を犠牲にしてでも飛び出していく彼女は、尊敬すると同時に不安にもなる。

まるで、大切なこの人が……――。

 

「高木さん?」

 考え込んでしまったのだろう。佐藤の母が心配そうに声をかけてきた。

「あ、はい!すみません」

 胸中がバレないように、何とか平静を装ってみる。

「大丈夫ですか?ぼーっとしてましたけど。疲れてるんだったら、上がってお茶でも……」

「あっ、いっ、いえ! まだ、逮捕した男の事情聴取などが残っているので」

「ああ、そうよね。ごめんなさい、刑事の母のくせに馬鹿なこと言っちゃって。高木さんも、体には気をつけて下さいね」

「はい。それでは、失礼します」

 背負っていた佐藤を玄関にそっと降ろすと、母娘に一礼し、高木は佐藤家を後にした。

 

 

 

 

 

あとがき

 以前、「Ws Cafe」様の小説投稿ページに投稿させていただいていた話です。(現在は閉鎖されています。本当にお疲れ様でした。)

 これが私の初書きコナン話でした。コナンにハマってから二ヶ月後に書いたという、かなりの無謀作。まだキャラを掴みきってない感じが出ていて、今読み返すと恥ずかしい…!(苦笑)書き方も、今とは微妙に違いますね。そして、改めて読み直すとこの話、間違った警察事情が多々出ていそうな気が…。(泣笑)

 ちなみに当時は、これが自分の書く最初で最後のコナン話になるかもと思っていたので、自分の書きたいシーンをガンガン詰め込んだ覚えがあります。ある意味、コナンでやりたいネタをこの話でほとんど消費してしまったような気も。(笑)

 そんな様々な想いが詰まった初書きコナン話、まだまだ続きます。

 

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