Pledge(中)

 

 

「領収書、今書きますね」

「あ、いえ……結構です……」

 高木が断ると、相手は驚いたようにこちらを見る。

「自腹でいいんですか?」

「ええ、まぁ……」

 元々薄い財布がますます薄くなり、高木は「はぁ〜」とため息をつきつつ車を降りた。

 

 

 乗ってきたスカイラインは、当たり前と言えば当たり前なのだが、千葉が被疑者を連行するために乗っていってしまった。

 本庁まで歩いて帰るには遠すぎるし、かといってバスや電車を悠長に待ってもいられない。いくら後輩とはいえ、千葉に雑務の全て押し付けるのはさすがに気が引けるものだ。

 早く帰るために残された手段、それがタクシーだった。

 

 

 バタン、と自動的にドアが閉まり、タクシーはUターンして元来た道を戻っていった。それを何とはなしに見送り、高木は本庁へと入る。

―――あーあ。事件がらみだったら自腹じゃないのになぁ……。

 普通、捜査での交通費は本庁のツケとして領収書をもらう。タクシーの運転手が領収書を断られて驚いたのも、そのためだ。けれど、今回は佐藤を家に送っただけ。人助けと言えばそうなのだが、そんな理由で金を出してくれる程、本庁も社会も甘くはない。

 どんよりモードで一課へと戻ると、高木は突然、ガッ、と仲間の刑事たちに取り囲まれた。

「へっ?!」

「た〜か〜ぎぃ〜」

 今朝の落ち込みため息モードはどこへやら、皆ものすごい形相だ。

「おまえ、今日 美和ちゃんに会ったそうじゃねぇか」

「えっ?!」

「しかも、倒れた美和ちゃんを家まで送ったらしいじゃねぇか」

「え゛っ?!」

「おまえ……、まさかとは思うが……」

 目の前にいた一人に、ガシッ、と胸倉を掴まれる。もちろん、その後ろにも、いくつもの恐ろしい顔が並んでいる。

「『お母さん、僕が運びましょう』とか何とか言って、美和ちゃんの部屋に入ったんじゃないだろうなっ?!」

「えぇっ?!すっ、するわけないじゃないですか!!そんなことっ!」

 ブンブンッ、と首が千切れんばかりに高木は首を横に振る。

「本当だろうな?!」

「ほんとのほんとですってばっ!」

「この桜の代紋に誓えるかっ?!」

「ちっ、誓えます〰っ!!」

 警察手帳まで持ち出されて凄まれれば、高木でなくとも半泣き状態になるだろう。職権乱用もいいところだ。

 そんな高木の様子に、

「そうか。ならいいんだ」

 安心したのか、強面の刑事たちはさっきまでとは一変、満足そうにニッコリと笑い、ポン、ポン、と次々に彼の肩を叩いて高木から離れていった。

 

 

 

―――な…何なんだ、一体?!

 何とか強面刑事たちから開放された高木は、呆然としたまま動けずにいた。事情聴取を受けた後の犯人の気持ちは、こんなものかもしれない。

―――何で皆、俺と佐藤さんのことを知ってたんだ?

 あの時現場には、自分と千葉しかいなかった。高木が佐藤を家まで背負っていく途中を、誰かに見られでもしたのだろうか?

 と、その時前方で、わざとらしい少し大きめの声が聞こえた。

「やあ、千葉君。どうかね?僕のあげたダブルチーズバーガーのお味は」

 その声に、高木の顔は一気にサァーッと血の気が引く。

「あ、白鳥警部!はい、そりゃ〜もう、最高っすよ!!」

 胸一杯に嫌〜な予感を抱えたまま、高木は恐る恐る会話の方を見やった。

―――げっ?!

 なぜこうも、嫌な予感というものは当たるのだろう。

 ニコニコと白鳥を見上げる千葉の手には、しっかりと食べかけのダブルチーズバーガーが握られていた。しかも、もう片方の手にも一つ。

 白鳥はといえば、高木がこちらを見ていることに気付いたのか、高木に向かって、ふっ、と勝利の笑みを浮かべてくる。

―――やられた……。

 自分の寂しい財布ではとても奢ってやれないダブルチーズバーガー。しかも二つ。名付けるならば、「ダブルダブルチーズバーガー」。これでは千葉が事の真相を話してしまっても仕方ないだろう。

ちなみに、セットのポテトとドリンクもちゃんと付いている。

「それじゃあ僕は仕事に戻るよ」

「はい!お疲れ様です!」

 手懐けられた犬のごとく返事をする千葉に手を振り、白鳥は去っていった。もちろん、高木とのすれ違い様に、

「おや、高木君。今 帰ったのかね?」

 とわざとの如く声を掛けるのも忘れない。

「たっ、高木さん?!」

 ようやく高木の存在に気付いた千葉はといえば、慌ててダブルダブルチーズバーガーを隠すようにこちらに背を向ける。

―――やっぱり、白鳥さんには敵わない……。

 高木は益々深―いため息をついたのだった。

 

 

 

「ん?」

 鼻歌交じりに警視庁の廊下を歩いていた交通課の婦警・由美は、前方に見知った顔を見つけ、ニンマリと笑った。

「やあ高木君!今日も一日アンラッキーだったかねっ?」

高木をからかうのは、もはや由美の日課となっている。

自販機の前で、コーヒーのカップを片手に座っていた高木を、常の如くドーン、とどつき、声をかけた。

が、

「……へ……? あぁ、由美さんか……」

 振り向いた顔も声も、異常に暗い。かもし出す雰囲気は、彼の背後に “どよーん……”という効果音を書いてやりたくなる程に淀んでいる。

「あら〜……。な〜んか、ほんとに落ち込んじゃうことがあったみたいね……」

 冗談で言ったつもりだったため、由美も少々「マズったかな?」と反省する。

「ええ。まぁ、色々と……」

「でも、噂によればあなた、今日 美和子と会ったらしいじゃない」

「え?!もう交通課にも伝わってるんですか?!」

「当たり前でしょ?今頃はもう、警視庁中に広がってるんじゃないの?」

「そう……ですよね……。佐藤さん、人気あるし……」

 再び「はぁ〜っ」とため息をつく高木に、由美は軽く苦笑する。

「でもさぁ、その美和子とつきあっていくんなら、“警視庁中の男たちを敵に回してもいい!”ぐらいの覚悟がいるんじゃないの?こんなんでいちいち落ち込んでたら、この先、身がもたないわよ?」

「あ、いや。確かにそのことも不安ではあるんですけど……」

「ん?他に何か不安でもあるわけ?」

 高木の意外な発言に、由美はちょっと目を見開く。他の男刑事たちの邪魔を除けばこの二人、結構順調そうに見えるのだが。

「ええ、その……何と言うか……」

「何よ?はっきりしないわね」

 早く言え、との意を込めて軽く睨みつけてやると、困ったように高木は黙り込み。そして、一つ一つ、言葉を探すように話し出した。

「……今日、改めて思ったんです。佐藤さんは、どんなことがあっても絶対、刑事なんだな……って」

「はぁ?」

 高木の言いたいことがさっぱりわからず、由美は思わず首を傾げる。

「今更何言ってんの?美和子は捜査一課強行犯三係の女刑事。刑事で当たり前じゃない」

「そりゃそうなんですけど、僕が言いたいのはそういうことじゃなくて……――」

 

 

 

「…――わこ。みわこ。美和子!」

誰かの呼ぶ声と近付いてくる足音で、佐藤は目を覚ました。

まだはっきりとしない視界に広がるのは、見慣れた自分の部屋。

―――あれ?

「美和子っ!……あら、あなたまだ寝てたの?」

ノックもなしにバン、とドアを開け母親が入ってきた。

そんな母の苦言も聞き流し、佐藤はガバッと起き上がる。

「ねえっ!何で私、家にいるの?!」

「あら、覚えてないの? あなた、病院帰りにひったくりの男を捕まえて、そのまま倒れちゃったのよ。それで、高木さんがここまで運んでくれたってわけ。後でちゃんと高木さんにお礼言っときなさいよ」

「嘘……」

 恥ずかしい。女としてというより、先輩刑事として。そんな情けない姿を後輩二人に見られたなんて……。

「それよりほら、携帯をリビングに置きっぱなしにしてたでしょ?鳴ってたわよ。画面に由美さんの名前が出てたけど」

「へ?由美?」

 

 

 受け取った携帯を見れば、メールではなく電話の着信履歴で。かけなおして職務中だったらマズイと躊躇していると、幸いにも再び携帯の着信音が鳴った。

「もしもし、由美?」

「あ、美和子?」

 携帯を取ると、親友の心配そうな声が流れてくる。

「大丈夫?体の方は」

「ええ。もう大分。それよりどうしたの?何かあった?」

「え゛? ……何で?」

「だってあなた、私の具合を聞くためだけに、わざわざ勤務時間抜け出して電話かけてきたりしないでしょ?メールもあるんだから」

「あはは〜、やっぱりバレた?さすが美和子ね」

 罰が悪そうに少し笑うと、由美は唐突に話を切り出した。

「あのさぁ、美和子って確か、この前 高木君とマリンランドに行った時、言ったのよね?『私の元からいなくならないで』って」

「え…って、ちょっと!何であなたがそんなこと知ってるのよ?!」

 思わぬところを突かれ、佐藤の顔は瞬時に真っ赤になる。

「甘いわね。交通課由美さまの情報網は、インターネット並みなのよ」

 ふふん、と得意そうに鼻を鳴らした由美だったが、すぐに元の声音に戻る。否、それよりも更に真面目な、彼女には珍しい口調だ。

「その時さ、高木君、迷わず頷いたのよね?」

「え、ええ……」

 

 

『絶対にいなくならないって…私の元からいなくならないって…約束しなさいよ!!』

『は、はい!』

 

 

「私さ、それ聞いた時、意外だったのよね。まっさかあいつにそんな度胸があったなんて」

「え?」

佐藤は思わず尋ね返した。由美の言わんとすることが見えない。

「だからさ、高木君だって、全然そうは見えないけど、一応刑事なわけでしょ?」

 何だかひどい言い様だが、外れてもいないので、とりあえず頷いておく。

「だったら、嫌でも常に危険と隣り合わせにいるわけじゃない?いつ自分が事件に巻き込まれるかも分からない。……それなのに、迷いもせずに『いなくなったりしない』って約束するなんて、よっぽどの覚悟や勇気がなきゃできないわよ?」

「?!」

 その言葉に、ハッとする。あの時自分は、果たして高木の気持ちまで考えただろうか?ただ感情のままに、自分の気持ちを押し付けはしなかったか?

「でさ、それに対して美和子はどうなのよ?」

「え?私?」

 突然、自分に話の矛先を向けられる。

「そ。……さっきさ、高木君言ってたのよね……――」

 

 

――……

「不安なんです。佐藤さんが消えてしまいそうで……」

 高木は、ようやく本音らしい言葉を口にした。

「佐藤さんは、いつも先頭きって走っていくんです。相手がどんなに凶暴な奴でも、危険な武器を所持していても、躊躇いもせず向かっていくんです。警察職務のためなら、自分の身を犠牲にしても構わないって感じで……」

「まぁ、確かに美和子はそういうところあるわよねぇ。正義感が強いし。 でも、警察官なら皆、いざという時はそうなんじゃないの? ……で?あんたは美和子の腕が信用できないわけ?」

「そっ、そんなんじゃないですよ!!ただ……」

困ったように再び黙り込んでしまう高木に、由美は少々、マズったな、と思う。やっと本音を話し出したというのに、これでは元に逆戻りしてしまう。

「ま、まぁ、万が一、ってことも無くはないわよね」

「ええ……」

 ちょっとフォローを試みてみるが、効果はイマイチだ。

 う〜ん……、と暫く由美も悩んだが、再び口を開いた。

「とにかくさ、そういう正直な気持ち、美和子にちゃんと言ってみたら?それで、一度じっくり二人で話し合って……」

「だっ、駄目ですよっ!そんなのっ!!」

「……?何で?」

 いつになく強く否定してくる高木に、由美は少々驚く。

「いや、その……。仕事してる時の佐藤さんの目、すごく活き活きしてるんですよ。凛として、まっすぐに前を見据えていて……。そんな佐藤さんに、こんなこと言えませんよ」

「まぁ確かに、分からなくもないけど……」

実際、由美自身も、仕事をしている時の美和子は好きだ。

けれど。

「じゃあ結局、高木君は美和子にどうして欲しいのよ?今まで通り、先頭きって事件に向かって行って欲しいの?それとも、少しは自粛して欲しいの?」

「それは……」

「……」

「……」

「……分かってれば悩んでない、か」

「そうなんですよね……」

 はぁ、とため息をつく由美に、高木も力なく笑った。

 

 

「ね?高木君らしいでしょ? 優柔不断っていうか、はっきりしないっていうか……」

 わざと呆れたように由美が言うが、佐藤は笑えなかった。

 自分がそうであったように、彼にも味あわせていたのだろうか。大切な人が消えてしまうかもしれない、というあの不安を。

「まぁ、高木君にはこのこと口止めされてたんだけど、やっぱり美和子に言っておくべきだと思って。……って、ただのお節介にしかなってないか」

「由美……」

 佐藤は、きゅっ、と携帯を握り締めた。

「ありがとう、電話……」

 すると向こうから、ふふ、と微かな笑い声がする。

「何言ってんのよ。親友のためなら、これくらい朝飯前よ! あっ、今はもう夕方だから、夕飯前かな?」

冗談なのか本気なのか。

由美の言葉に、佐藤は、ふ、と小さく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

あとがき

 白鳥さんが悪い人すぎる。(苦笑)当時はまだコナンキャラをつかみきっていなかったとはいえ、それでも……うん、完全に酷い人だ。(苦笑)それに千葉刑事も…。お二人のファンの方には大変申し訳ありません!

 ちなみに、千葉刑事を怒らなかった高木刑事、その理由は後編にて明らかに。

 残りあと一話、もう少しお付き合いいただけますと幸いです。

 

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