Pledge(後)

 

 

「高木さんっ!!昨日は本っ当にすみませんでしたっ!!」

 もう夏も終わったというのに、顔中に冷や汗という名の汗を一杯に浮かべ、千葉が頭を下げた。

「もういいって。俺も白鳥さんと似たようなことしようとしてたわけだし……」

 運転中のため、一瞬だけ助手席の千葉に視線を投げつつ、高木が答える。

 確かに、佐藤さん親衛部隊(特に白鳥さん)に昨日のことを話されてしまったのには参ったが、ただのチーズバーガーが、ダブルダブルチーズバーガーに敵うはずもない。ここは、あの時の千葉の「ダブルチーズバーガーの方がいいですーっ!!」という叫びの無視を決め込んだ罰が当たったとでも思っておこう。

 

「それにしても、今日こそ捕まえられるといいな。通り魔」

「そうですね。けど昨日の今日ですし、またガセネタかもしれませんね……」

 今朝も、昨日と同じく通り魔犯目撃の情報が入り、高木・千葉、両刑事に捜査の指令が出た。しかし、昨日のこともあり、どうにも疑わしく思えてしまう。

「まぁ、万が一ってこともあるし、気を抜かずにいくぞっ」

「ふぁいっ!」

 “気を抜かずに”と言ったそばから、妙な返事が返ってきた。怪訝に思い、赤信号で止まると、高木は横の人物を見やる。

「ああっ?!おまえ、何やってるんだよっ?!」

「ふぇ?」

 不思議そうな千葉の両手には、あんまんが一つずつ握られていた。もちろん、口もモゴモゴと動いている。

「おまえ、さっき食堂で朝飯とってただろっ?」

「ひょんなのレラートれすよ、レラート」

「デザートにあんまん二個も食べる奴があるかっ!おまえそんなんじゃまた太るぞっ!」

「ひょんな厳ひぃこと言わないで下ひゃいよ〜」

 高木に詰め寄られ、困ったように千葉が言った時。

「きゃーーーっ!!」

「?!」

「?!」

 耳を劈くような悲鳴が辺りに響いた。

「行くぞっ!千葉っ!!」

「ふぁ、ふぁいっ!」

 どんどん、と千葉が胸を叩いてあんまんを喉に押しやっている間に、高木は先に車外へと飛び出した。

 

 

 現場は何人かの人だかりができていたため、すぐに分かった。

「すみません!警察です!どうされました?!」

「な……ナイフを持った男が急に……」

 やじ馬の一人が答える。人の輪の中心には、手や足から血を流した男女数名が倒れている。幸い、死亡者はいないようだが。

―――くそっ!今度こそ通り魔犯かっ!

「それで、その男はどっちに?!」

「あっ……あっちに走っていきました。黒いTシャツと緑の帽子をかぶった……男……」

 震えながら路地を指差す女に頷くと、

「どなたか救急車を呼んでおいてください!急いでっ!!」

と言い置き、高木は再び現場から走り出した。

そう。今、この機を逃してはならない。

 

 

 走り出して数分も経たないうちに、それらしき男を視界に捕らえた。黒いTシャツに、緑の帽子。

「待てっ!警察だっ!!」

 高木が叫ぶと、男はギョッとしたように振り返る。モンタージュそっくりのその顔に、高木は確信を得る。

―――間違いない。やっぱりあの男だっ!

 と、男の走る反対側から、OLらしき女性が一人歩いてきた。高木はハッとして叫ぶ。

「そこの人っ!危ないっ!逃げてっ!!」

が、時すでに遅し。男はその女を無理やり捕まえると、こちらを向く。

そして、懐から取り出した物は……。

―――くそっ!やられたっ。

 鈍く光る刃物を女に突きつけ、男はニヤリと笑う。

「来るなよ。それ以上近づいたら、この女の命はねえぞ」

 人質となった女性は、真っ青になってガタガタと震えている。

―――畜生!これじゃあ無闇に犯人に近づけない。

 せめてもう一人いれば……、と思い高木は後方をチラリと見やるが、相棒である千葉の姿は、影も形も見当たらない。自分よりも遅れてスタートしていたから、現場の救急車の到着等と鉢合わせになったのかもしれない。

 その間にも、男は女を連れたまま、じりじりと後ろへ下がり、高木との距離を空けていく。

―――くそっ!どうすればいい?どうすれば……。

 と、その時。キキィッと音を立てて、犯人の後ろに見慣れた赤い車が止まった。

「高木君!」

「さっ、佐藤さん?!」

 アンフィニの運転席から素早く降り立ったのは、いつものスーツ姿の佐藤。

「またサツか?!」

 慌てて振り返った男に、彼女は迷わずゆっくりと歩み寄る。

「おいコラっ!おまえもさっさと止まらねぇと、この女ブッ殺すぞ!」

 男が怒鳴り散らすが、佐藤の歩みは一向に止まる気配を見せない。

「佐藤さんっ!」

 思わず叫んだ高木に、ようやく彼女は足を止め、視線をこちらに向けた。そして、意味有り気に、ふっ、と笑むと、目だけで人質の女性を指す。

その佐藤の動きに、高木はハッとしたように目を見開くと、彼女に向かって小さく頷いた。

 

 

「おい!何こそこそしてやがる!いい加減にしねぇと……」

 男が叫ぶと同時、その背後にいた高木が、わざとの如くコツコツと靴音を立てて犯人に近付き始めた。

男は慌てて高木の方に向き直る。

「今度はお前かっ?!くそっ!どいつもこいつも馬鹿にしやがって!俺は本気だぞっ!!」

とうとうキレた男が、手にしていたナイフを振り上げた。

女が声にならない悲鳴を上げる。

瞬間、男の動きが止まった。いや、正しくは “止めさせられた” だ。

ナイフを持った男の手首を、佐藤が後ろからしっかりと掴んでいた。

「なっ?!」

「ダメねぇ。背中が隙だらけよ?」

ニッ、笑むと同時、佐藤はそのままその腕を掴むと、男の足を払い、背負い投げた。

その隙に、高木は人質になっていた女性を掴むと、犯人から引き離す。間をおかず、ポケットから手錠を取り出すと、

「佐藤さん!」

と叫び、片膝で犯人に後固めを極(き)めている彼女にそれを思いっきり投げた。

佐藤もまた、片手でその手錠を見事にキャッチすると、犯人の両手首にしっかりとかける。

「八時二十九分、被疑者確保っ!」

 佐藤のその声に遅れること五秒。遅れていた千葉が、ようやく高木に追いついた。

「高木さん!犯人は?!……って、あれ?何で佐藤さんがここにいるんすか?」

 

 

 

「いやぁ、ほんと助かりましたよ」

そう告げる高木に続き、千葉も犯人を引っ張り起こしながら頷く。

「ですよねぇ。昨日のひったくりもそうだし」

 佐藤の制圧術が効いたのか、犯人は未だぐったりとしたままだ。この様子では、暴れるどころか、暫く一人で動き回るのも無理だろう。

「やあねぇ、そんなに褒めないでよ。恥ずかしいじゃない」

 照れたように笑って答える佐藤に、高木が心配そうに声を掛ける。

「でも大丈夫なんですか、身体の方は?あと一日ぐらい休んでおいた方が……」

「平気よ。昨日一日休んだから、もうすっかり良くなったわ。それに……」

 そこで一旦言葉を切ると、佐藤は高木の顔を見やる。

「少しでも早く、あなたに言いたいことがあったから」

「え?僕に……ですか?」

 その言葉に、高木の鼓動は一瞬、ドクンッ!、と跳ね上がる。

 そんな二人の会話から空気を感じ取り気を遣ったのか、千葉が慌てたように口を挟んだ。

「あ!じゃあ僕は、先にこの男を本庁に連行しとくんで、高木さんは後から佐藤さんの車で来て下さい」

「あ、ああ。悪いな、千葉」

「あっ、ねぇ!千葉君!」

 背を向けそそくさと歩き出そうとする千葉に、佐藤が思い出したように声を掛ける。

「はい?」

「あなた、ここまで来る間に何か食べてたでしょ?」

「え゛っ?!」

「口の横に、あんこみたいな物が付いたままよ」

 笑いながら佐藤が指差す先には、先程のあんまんの粒がしっかりとくっついていた。

「えっ?!本当ですか?!」

「おまえ……。本庁着くまでには、ちゃんと取っとけよ」

「そうよ。目暮警部に見つかったら、「捜査中に暢気に物を食うとは何事だーっ!」って、怒鳴られちゃうわよ?」

「は〰い……」

 二人から畳み掛けられ、千葉は頭をポリポリとかきながら、犯人、そして人質となった女性を連れて行った。

 

 

 

「千葉君ってほんと、ヒマさえあれば何か食べてるのね」

 離れていく千葉の後姿を見ながら、おかしそうにクスクスと笑う佐藤を、高木はジッと見つめる。

―――何だろう……?話って……。

 

「あ、そうだ!」

 思い出したように佐藤がこちらを振り向いた。

「昨日はごめんなさいね、家まで運んでもらっちゃったみたいで。あれぐらいで倒れるなんて、情けないわ」

「あ、いえ!そんなの全然。……って、話ってそれですか?」

「え?……ああ。 ううん、それとこれとは話が別よ」

「じゃあ、一体……」

 高木が促してみると、佐藤は一瞬考え込むように俯いたが、すぐにその顔を上げる。

 

「高木君。私は、刑事だから」

「え?」

 一瞬、彼女が何を言おうとしているのか分からなかった。が、すぐに心当たりが浮かぶ。

「まさかっ?!由美さん、佐藤さんに何か言ったんですか?!」

 けれど、彼女は否定も肯定もせずにただ微笑むと、話を続ける。

「……だから、事件と聞けばすぐに飛び出して行くし、犯人を見れば、追いかけずにはいられない。たとえ、相手がどんなに凶暴な奴でもね。 こればっかりは、刑事として変えられない」

「は、はい……」

 分かっていた。分かっていたけれど、目前でハッキリと言われてしまうと、その言葉は心にズンとくる。

―――やっぱりそうだよなぁ……。俺、また佐藤さんに余計な負担かけちゃったな……。

 

「でも……」

彼女の声に、ハッと我に返る。

そこには、彼女の細い右手の小指が差し出されていた。

「今度は、私もあなたに約束する。絶対に、高木くんの前からいなくなったりしないから」

「……佐藤さん……」

 あまりにも驚いて、それしか言葉が出なかった。

 こんなところにあったのか。難しいけれど単純で、そして最良の “答え”が。

「高木君にだけ約束させるなんて、不公平だものね。それに、知ってるでしょ?私は銃弾が心臓近くまできてたのに生き延びた、ものすごくタフな女だって」

 パチ、とおどけるようにウインクをしながら言う佐藤に、やっと高木も笑うことができた。

「ええ。そうですね……」

 ああ……そうだ、と高木は思う。由美には佐藤を信用しているなどと言ったけれど。やっぱり自分は、心のどこかで信じきれていなかったのだ。“絶対大丈夫”なんてことはない、と。

けれど、彼女は自分の “絶対”を信じてくれた。

ならば。

「俺も、信じます。佐藤さんが信じてくれたように、俺も、佐藤さんの言葉を……」

 そして高木も、差し出されたままの彼女の小指に、自分の小指をそっとからめ……ようとしたのだが。

 

プルルルルッ!

「あら、携帯」

突然佐藤の携帯が鳴り出した。

当然、差し出されていた彼女の小指は、あっという間に高木から遠ざかる。

―――あ゛あ゛〜〜……。

「はい、佐藤です。……あら、白鳥君?」

―――え゛っ?!

「ええ。もう大丈夫。今も高木君や千葉君と、連続通り魔犯を確保したところよ。……え?今から?」

―――げっ?!

「……分かったわ。どうせ、通り魔犯の事情聴取をしに本庁へ戻るつもりだったから、今からそっちへ向かうわ」

―――嫌な予感……。

ピッ、と電話を切りつつ、佐藤がこちらを向く。

もちろん、表情は既に刑事モードへと切り替わり済みだ。

「何か、至急見て欲しい捜査資料があるんですって。通り魔犯の事後処理もあるし、急いで本庁に戻りましょ」

「あ、はい……」

やはり、彼の予感は当たった。

刑事モードに突入した彼女を止める方法など、もはや皆無。

 さっきの続きを……、なんて台詞を高木が言い出せるはずもなく、佐藤はさっさとアンフィニに乗り込んでしまう。

―――やっぱり白鳥さんには敵わない……。

 一難去って、また一難。彼の悩みは尽きることがなく。

 高木は、はぁ〜っ、と深―いため息をついたのだった。

「コラ!何グズグズしてるの?!仕事前の刑事がため息なんかつかないの!」

「は、はい!すみません!」

 ……でもまぁ、これからもこんな風に活き活きと仕事をしている彼女を隣で見ていられるのなら、それだけで十分かもしれない。

 車窓から顔を出して一喝してくる佐藤に頭を下げると、高木はパン!、と両手で自分の顔を叩き。気を引き締めると、赤い車に向かって走り出した。

 

 

 

 

 

 

あとがき

 長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。当時は長文傾向があった管理人ですが、最近は短編の方が多くなりましたので、このサイトでは珍しい文量だったかと思います。目、お疲れになっていませんか?(苦笑)

 一部、映画「瞳の中の暗殺者」のネタも使用させていただきながら書きました、今回の話。「(前)」のあとがきでも書きましたが、この話には、当時の私の書きたい本庁シチュエーションがほとんど入っています。いつか、同じ話を今の自分で書いてみたいですねー。どう変わるんでしょう?……今より当時のこの話の方が面白かったらどうしよう。(笑)

 

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