彼女は知っている。自分が魔王に、どれだけ大きなものを与えられたか。

魔王は知っている。自分が彼女の言葉に、どれだけ勇気を与えられたか。

 

彼女は知らない。自分の言葉が、どれだけ魔王に勇気を与えたか。

魔王は知らない。自分が、どれだけ大きなものを彼女に、そしてその他の民に与えたか。

 

 

与えたもの、

与えられたもの(3)

 

 

「坊ちゃん、怪我は!?」

 上から降ってくる焦ったような声に、彼は苦笑で答えた。

「あ〜、平気平気。瓶も割れてないし。ありがとな、ヨザック」

 受け止めてくれた従者に礼を述べ、傍らにいる愛娘にも声をかける。

「グレタも、心配ないよ。大丈夫だから。 お姉さんも気にしないで……うわっ!」

 駆け寄ってきてくれた女店主にも視線を向けた途端、視界が一面真っ白になった。さっきまで下敷きになってくれていた護衛が、手近にあった棚から 売り物の服を掴んで己に被せたらしい。

「ちょ、ちょっと!何するんだよヨザック!これじゃ前が見えないだろ!? っていうより、これお店の売り物で…――」

「ダメじゃないですか坊ちゃん。貴方は陽の光に弱いんですから、ちゃんと目を護らないと」

「はぁ?おれがいつからそんな……」

 野球少年失格な体質になったのさ と問いかけた言葉が、喉の辺りにひっかかった。

 目を……護る?

 自分はさっき、何を思った?

 

『視界が一面真っ白』

 

 真っ白。それは、あの黒い色の付いたサングラスをしていたら絶対に思わない色だ。

 もしかして今……裸眼?

 

―――ええぇぇっ!?

 思わず叫びそうになるのを、有利は必死で堪えた。

 最悪だ。踏み台から落下したことよりも最悪だ。どうして自分はこう、いつも抜けているのだろう。そもそもこれぐらいの衝撃で眼鏡って外れるもん!? あまりのショックに、そんなどんなどうでもいい思考までが浮かんでくる。脳が勝手に現実逃避を起こそうとしているらしい。

 だが実際は、現実逃避なんてしていられなかった。彼女が駆け寄ってきた時点で既に、自分は裸眼を晒していたのだ。彼女が気付かないはずがあろうか、いや無い。

 国語で習った反語を 心中で使ってみたところで、人の動く気配がした。

「これ、落としましたよ」

 服を頭から被せられているとはいえ、下方には僅かに隙間ができている。そこから見えたのは、女店主の細くて長い指と、己のサングラス。

「……あ、有難う」

 恐る恐る受け取る。彼女の表情を直接伺えないのが有利を不安にさせた。

 彼女はこの後どう出るのか。ちなみに今まで身分がバレてしまった時の例をあげれば、ペコペコとひたすら頭を下げられるか、大騒ぎされて近所の人たちにまでバレてしまうかのどちらかだ。

 だが、彼女の言動はそのどれとも違った。

「お買い上げになるのは、こちらの二つでしたよね?そっちの瓶も、守ってくださって有難うございました。お陰で一つ 商品を無駄にしないで済んだわ」

 顔は見えないけれど、声で分かった。彼女はきっと笑っている。まるで、何事もなかったかのように。

 サングラスと入れ替わりに、有利の掴んでいた小瓶三つをその手から取ると、彼女は包んでくると言ってその場を離れた。

 一方の残された有利は、驚きのあまり、ただ呆然としていた。そしてそれは、彼の背後にいたお庭番に至っても同じことだったのだが、白い服を被ったままの彼がそのことに気付くはずもなかった。

 

 

 

 再びサングラスをかけてカウンターに戻ると、小さな紙袋を持った女店主が待っていた。

「お待たせしました」

 そう言って、袋を差し出される。今度は視界を遮る物もなく、黒い硝子越しに彼女の笑顔を見た。きっと、さっきもこんな笑みを浮かべていたのだろう。もしかしたら自分の黒目に気付かなかったのだろうか、そんな甘い考えさえ持ちそうなほどに。

「有難う」

 代金を渡し、袋に手をかける。だが、受け取ることができなかった。彼女が紙袋から手を離さなかったからだ。

 女店主の瞳が、有利のサングラスを真っ直ぐに射抜いた。

「ねぇ、お客さん。あなたは新しい魔王陛下のこと、どう思います?」

「え?」

 あまりにも唐突で、頭が回らない。だが有利が答えるのを待たずに、彼女は続けた。

「私は、本当に感謝しています。今の魔王陛下に……心から」

「感……謝?」

「ええ」

 頷き、女店主はゆっくりと袋から手を外す。そして、少し視線を宙に漂わせた。

どこか遠くを見るように。

「この辺りを散策されれば分かるかと思いますが、この地域は人間の国との国境が近いんです。ですから昔は、魔族のお客さんと同じくらい、人間のお客さんも来てくれていました」

 ぼんやりと、昼間お庭番に見せた地図を思い出す。確かに彼女の言う通りだった。

「でも……」

 不意に相手の声が低くなる。彼女は両手をきつく組んで双眸を閉じた。

「二十年前のあの戦争で、魔族と人間の交流はすっかりなくなってしまった。無理も無いことですが……。この店にも……いいえ、うちの店だけじゃない。この辺り一帯、人間が寄り付くことはなくなりました。逆に、私たちが人間の国へ行くことも」

 “二十年前”。何度も耳にしたその響き。しかし自分は、実際にそれを体験してはいない。経験者から聞いただけだ。

 だがその傷跡や影響は、今も目に見えて残っている。ただ当時よりも薄くなっているというだけで。

「もう二度と、人間の方と関わりあうことなんて無いだろうとさえ思っていました。……だけどそんな時、あの方が魔王に立たれた」

 言って、彼女はフワリと笑んだ。その顔のあまりの優しさに、有利は自分ではない他人のことを言っているんじゃないだろうかとさえ思ってしまう。

自分には、そんな顔をされるほどのことをしてきた覚えがないから。

「陛下は戦争に反対され、魔族と人間との隔たりを無くそうとされていると聞きました。そして実際、流れてくる噂は全て、その信念から外れていません。スヴェレラでのこと、カロリアの独立、眞魔国派同盟のことも耳にしました。陛下を中心に、少しずつ両者が交わり始めている」

 彼女は熱っぽい口調のまま、更に笑みを深くした。

「先日久しぶりに、人間のお客さんが来てくれたんです。以前この店によく来てくれていた常連さんでした。人間の方ですから、当時よりも大分歳をとってはいましたが、見てすぐに分かりました。 そして彼は、店内を見回して笑ったんです」

 

『懐かしいな……。あの頃と変わらないまま店を開いてくれていて、嬉しいよ』

 

「そう……。君も、嬉しかったんだ?」

「ええ、とても。店を続けていてよかったと、心から思いました。 最近は、私も人間の国にまた行くようになったんです。飾り釦の出来なんか、人間の国の方が精巧なんですよ?」

 そこで彼女は言葉を切った。気を落ち着けるように小さく息を吸い、吐き出す。横にいるグレタも、そして背後にいるヨザックも、ただ黙ってこちらの会話を聞いている。

 再び顔を上げてこちらを見上げてきた女店主は、両手でゆっくりと有利の右手を掴んだ。

「本当に素晴らしい方。あなたの統治する時代で生きることができて、私は幸せです」

「君……」

「……って、お伝えしたいです。もし、陛下に直接お会いすることがあれば。 まぁ、私はただの洋服店主ですから、陛下に謁見するなんてありえませんけどね」

 パッと両手を放し、彼女は笑った。その態度に思わず苦笑してしまう。今日初めて会ったのに、“彼女には一生敵わない”という気がした。

 有利は一度両目を閉じて頭を振ると、顔から苦笑を消す。

「もし、魔王が君のその言葉を聞いたら、とても喜ぶよ。 絶対」

 力強く、そう告げた。彼女の心からの言葉に、応えるために。

 相手はほんの少し目を見開いたが、すぐにこの短い間ですっかり見慣れた笑顔に戻り、頭を下げた。

「本日はお買い上げ、有難うございました」

 

 

 

「はぁ〜、びっくりしたぁ。グレタ、絶対ユーリが王様だってバレちゃったと思ってドキドキしたよ〜」

 城門を潜るとすぐに、待ってましたとばかりにグレタが小さな手を胸に当てて息を吐いた。

 彼女も子供なりに気を遣って、城下ではこの話題を出さないようにしていたらしい。

「でもよかったね、ユーリ。あの お洋服屋のお姉さん、気付かなかったみたい」

「あ……うん。そうだな。ほんと、よかった」

 父親である少年王は、曖昧ながらも笑顔を浮かべて頷いた。いや、そうせざるを得なかったのだろう。愛する娘から無邪気な笑顔を向けられれば、世の父親はそう反応するしかない。

 たとえ、真実が別にあったとしても。

 

 グレタは手にしていた袋を抱えなおすと、一旦足を止めた。

彼女の持っている袋の数は二つに増えている。あの後、城の近くの店で焼き菓子も購入した。ちなみに、そちらの分の出資者はヨザックだ。

「じゃあグレタ、今からこのお菓子をアニシナに持っていってくるね。できたての方がおいしいから」

「へ?それ、ウチ用じゃなかったんだ?……っていうか、今からアニシナさんのところって……――」

「大丈夫。血盟城の地下に、前に臨時で作ったアニシナの実験室があるでしょ?今日はグウェンがお城に来てるから、アニシナもあそこにいるの。毒の沼に行ったこと話さなきゃ!」

「あ〜…、あの沼……ね」

 苦笑する有利の横で二人のやりとりを聞いていたお庭番が、すかさず少女の脇に膝を折る。

「姫様!それを渡す時は、ぜひぜひ、オレに買ってもらったことも強調して下さいね」

「え?う、うん……」

 ちょっと不思議そうに小首を傾げたが、グレタはそのまま毒女のいる地下室へと向かって走り出した。

 

「……せこいんじゃないの、ヨザック?その点数稼ぎ」

 娘が離れていくのを眺めながら、王が言う。非難するというよりは、からかうような口調だ。

 ヨザックも膝をはたいて立ち上がる。

「おや、何を仰います。小さなことでも、ちょっとずつ点数を稼げば、そのうち大きく花開くってね」

「成長しすぎて 枯れちゃったりして」

「うわっ!坊ちゃんたら、ひどっ!」

 大げさに嘆いてみせると、主が笑う。けれどすぐに真顔に戻り、再び娘の走っていった方を向いた。

 そこにはもう、グレタの姿は見えない。

「……バレてたよな、おれが魔王だって」

 それは、疑問ではなく確認。

 ヨザックは片手を腰に当てて頷いた。

「でしょうね。オレが彼女だったら、絶対気付きます」

「だよなぁ〜。……でもほんと、変に騒ぎ立てるような人じゃなくてよかったよ。感謝しなくちゃ」

 言って、有利は両手を頭の後ろで組むと、空を仰ぐ。

「あ〜あ、もうあの店には行けないなぁ。せっかくグレタも気に入ったみたいだったけど。 って言うか、おれってやっぱ、王様としての自覚が足りないよな。注意力なさ過ぎ。ヨザックも精神使ったろ?ごめんな。 ほんと、おれってまだまだ一人前の魔王には程遠いよなぁ〜」

「でも……“素晴らしい方” だって」

 お庭番は笑いながら言った。 この主君が早口で長々と話すのは、怒っているか照れ隠しかのどちらかであると知っているから。

 その確信を得るために、更に一歩有利に近付き、ヨザックは留めの一言を口にした。

「“あなたの統治する時代で生きることができて 幸せ”だって」

 

 それはきっと、彼女だけの想いではない。他の多くの民や、彼の周りにいる人々もきっと同じ。

 無論、お庭番の彼自身も。

 

 言いながら主の顔を覗き込めば、彼は頬を少し染めながら、とても幸せそうな笑みを浮かべていた。

 辺りは段々と暮れ始め、夕日の朱と夜の闇が混ざり、空に薄い紫色を描き出す。

 主のその笑みにつられながら、お庭番は有利の背を軽く叩いた。

「さ。オレたちもそろそろ城に戻りましょ。隊長もさすがに解放されてるでしょうし、ギュギュギュ閣下が髪を振り乱して大騒ぎしてるでしょうから」

「はは。お説教の覚悟はできてるよ」

 二人そろって、再び歩き出す。

 城の入り口に近付いた頃、王が不意に、小さく、けれど力強く呟いた。

 

「ヨザック。おれ、絶対いい王様になってみせる。あの人の言葉に恥じないように」

 

 今でも十分だと思いますけどね。

そう言いかけた言葉を呑み込み、お庭番も小さく告げた。

「頑張って下さい」

 

 今よりももっと上の王や国家だなんて、自分たちには想像もつかない。だが、この少年王の目指すところは、今の状態ではないらしい。

 彼がそれを目指すというのなら、ぜひ見てみたいと思った。

自分たち凡人には想像もつかないような、素晴らしい、その国を。

 

 

 

その日の夜、王佐閣下とフォンヴォルテール卿からの叱責で疲れきっていた王の前に、愛娘が一つの小瓶を持ってくる。 洋服店の紙袋に瓶が三つも入っていた、と。

そして、慌ててそれを返しに行こうとする王の袖を引っ張り、少女は一枚の紙を差し出す。

 

『これは、この瓶の命の恩人へ』

 

 今までの学習の成果を駆使してそれを読み終えた彼は、小さく微笑んだ。

 そして現在。その小瓶は、彼の執務用の机上の隅で、陽の光りを浴びて輝いている。

 

 

 

 

 

彼女は知っている。自分が魔王に、どれだけ大きなものを与えられたか。

魔王は知っている。自分が彼女の言葉に、どれだけ勇気を与えられたか。

 

彼女は知らない。自分の言葉が、どれだけ魔王に勇気を与えたか。

魔王は知らない。自分が、どれだけ大きなものを彼女に、そしてその他の民に与えたか。

 

与えられたものには簡単に気付けるのに、自分が与えたものには意外に気付かない。

それは、魔族も人間も、あるいは王も民も――同じらしい。

 

 

 

 

 

あとがき

やっと終わりました。長くなるにつれて捏造の度合いもどんどんアップしたのは気のせい?(苦笑)

(3)でようやく、有利視点の描写が出ました。でも内容をものすごく単純にすると「有利はいい王様だよね〜」になってしまうんですよ、この話。(笑)だから視点はコロコロと変わりますが、今回の話のメインは有利なのかな?と思ったり。

 ところで「有利はいい王様だよね〜」ネタは、Web拍手@の話とネタが被ってるような……ハハハ。(もっと色んなネタで書けるように精進します!!)

 

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