店の扉に下げている小さなベルが、チリン、という小気味いい音を立てた。その音に導かれるまま、帳簿をつけていた顔を上げる。

現れたのは三人。一人は見知った顔で、後の二人は少女と少年だった。

前者は「秘密」とでもいうように自身の口の前で人差し指を一本立てており、後者の二人は見かけない顔だった。……いや、この表現は適切ではないかもしれない。何しろ少年の方は、色つきの眼鏡をかけ、この暖かい気候の中、毛糸の帽子を目深に被っていたのだ。顔なんて見えやしない。

―――こんな格好で暑くないのかしら?変わった人ね……。

失礼にも、そんな感想を持った。

 

その少年が、自分が待ち望んでいた人物本人であるとも知らずに。

 

 

与えたもの、

与えられたもの(2)

 

 

「変な色の蛙変な色の魚変な形の花変な臭いの……――」

「ぼっちゃ〜ん?大丈夫ですか?何か傍から見てると呪文唱えてる人みたいですよ?」

ヨザックは、隣でぐったりとうなだれている主君に苦笑を向けた。

若き王はすっかり顔色を悪くしており、おまけにブツブツと小声で独り言を呟いている。

「だから言ったでしょう?行ったら後悔しますよ、って」

「いや、覚悟してたつもりだったんだけど、あそこまで凄いとは思わなくて……」

「まぁ、想像の範疇を越えてますからね、あれは。オレも見たのは初めてでしたけど。さすがはアニシナちゃん」

「だから、アニシナ“ちゃん”って……」

 

毒桃色の蛙、毒水色の沼、その中を泳ぐ毒緑色の毒魚……。全てが毒の沼。完全なる毒。

ここ数年であの沼を訪れた者など聞いたこともなかったが、あれでは無理もない。夜にあの光景を思い出したら、絶対にその晩は眠れないだろう。

何とかその地獄の沼から生還した二人は、こそこそと毒女の“異業”(「偉業」では決してない) について話していた。なぜ堂々と話さないのかというと。

 

「凄かったね〜」

ルンルンと鼻歌でも歌い出しそうな様子で先を行っていた少女が、こちらを振り返った。その言葉は、音は同じなれど、決して二人の言っている意味とは異なる。

「アニシナは一日であの沼をつくったんだって!見た目と臭いはちょっと変だったけど……でもやっぱりアニシナは凄いね、ユーリ」

「えっ!?あ、そっ、そ〜だな。見られてよかったな、グレタ」

「うん!」

子供の感受性は、時として大人には理解不能だ。この少女の目にはもう、毒女のすることは全て素晴らしく映るように設定されているのかもしれない。

頭の隅でそんなことを考えながら、お庭番は未だ俯き加減の主の顔をのぞき込んだ。周囲の風景は既に、両脇に店が立ち並ぶ街の中心に変わっている。

「それで、これからどうします?もし店を見て回りたいんだったら、ちょっとでも早く帰れるように、ここよりもっと奥の、城に近い店にした方がいいと思いますけど」

 言葉そのままの意味に加え、別の意図も含ませながら、お庭番は提案する。そして王も、「そうだね」と頷いてくれる。

 ここまでは順調だった。

 そう、ここまでは。

 

「ギュンターも騒いじゃってるだろうし、確かにその方がいいかも……って、グレタ、どうした?」

 話しながら目線を前方に移した有利が、軽く目を見開いた。つられてそちらを見れば、自分たちより前を歩いていた少女が、いつの間にやら立ち止まっている――とある店の前で。

 嫌な予感の再来に、お庭番の鼓動が跳ねた。

「ユーリ、あのキラキラしてる瓶、何?」

「キラキラした瓶?」

 少々怪訝そうに眉根を寄せた主君まで、娘に問われてそちらに向かってしまう。お庭番の心臓が更に激しく音を立てたが、突然で、情けなくも引き止める言葉が見つからない。

 少女と同じ目線になるように膝を折った有利に、グレタが対象物を指差した。

「ほら、あれ」

「んー?……あぁ、あれか。あれはビーズじゃないかな?」

 仕方なく主に遅れて少女の傍に着いたお庭番も、同じ方向に目をやる。そこからは、窓ごしに店内の様子が窺えた。彼等の視線の的となっているのは、そこに並んだ木棚にあるいくつかの小瓶らしい。

「瓶がキラキラしてるって言うよりは、中に詰まってるビーズが輝いてるんだと思うよ」

「びーずー?」

「ん?……あぁ、こっちにはこの単語はないのか。つまり、穴のあいた飾り用の小さな硝子玉……って感じかな」

「もしかして、こーゆーの?」

「あ、そうそう、それ!そっか、グレタの服にも付いてたな。ちなみにビーズって言っても、男二人組みの歌手のことじゃないぞー?って、こっちでこんなこと言っても無駄か」

 主君がハハ、と独りで苦笑する。そしてそのまま娘の頭に手を置くと、お庭番が最も恐れていたことを口にした。

「グレタ、この店に入ってみる?」

「え?」

 声に出したのは少女だったが、心中で叫んだのはヨザックだった。

「欲しいなら、あれ買ってあげるよ」

「ほんと!?」

「ああ。……ちょっとぐらいなら、ここに寄ってもいいよな?ヨザック」

 グレタに頷いた後、主君が見上げてきた。それは、確認するというよりは、了解を得られるものと確信しての言葉だ。

 しかし実際のお庭番の心中は、とても是と言える状態ではなかった。ただのそこら辺の店なら一向に構わない。が、この店だけはやめて欲しい。

 だが、反対するには何か理由が必要だった。子供が興味を示した物を買ってやるという行為に対し、文句なんて付けようもないし、他の店を勧めようにも、この地域に洋服店はここしかない。つまり、あの硝子玉を売っているのもこの店だけ。

 反対するに足る理由がどこにも無い。お庭番は気付かれないようにそっと息を吐いた。

「ええ、構いません。坊ちゃんのお心のままに」

「有難う」

主君の目が嬉しげに細められたのが、色付きの硝子越しでも分かった。

彼が娘の手を握って促し、店の扉を押す。扉に取り付けられているベルが小さく鳴り、お庭番は腹をくくった。こうなったら仕方がない。前の二人に気取られないように、懐から紙と筆記具を取り出す。

扉が全開になり、この店の女店主――セリナの姿が目に映った。

 

 

 

ヨザックたち三人が店に足を踏み入れると、セリナは目を瞬かせた。が、それも一瞬のことで、すぐにいつもの明るい口調で「いらっしゃいませ」と笑う。

彼女の瞬きの原因が、気候に不似合いな格好をした有利なのか、立てた人差し指を口元に当てているヨザックなのかは分からなかった。

「すみません、あそこにあるビーズ……じゃなかった、小さな硝子玉を見たいんですけど」

 一歩進み出た有利が、奥の棚を指差す。目的の物は、棚の一番上に並んでいた。この辺りは地震が多いため、店の品は下の方に重い物、上の方に軽い物が並べられている。

「ああ、あれですね。ちょっと待って下さい、今踏み台を準備しますから」

「あぁ、いいって。あそこに置いてあるやつでしょ?自分でやるよ」

 カウンターから出てきた彼女に手を振り、王は娘と踏み台の置いてある方に行ってしまった。

 残されたお庭番を、女店主が横目で見上げてくる。さっきまでとは打って変わり、怪訝そうな表情だ。

どういうこと、と視線が訴えていた。

 お庭番は黙って先ほどの紙を差し出す。今の間で書いた彼女への頼み事だ。書きなぐっていて字が汚いのはこの際仕方がない。

 

『オレがこの店に来てたことは絶対内密で』

 

 セリナがサッとその一行に目を通す。ふ〜ん、と小さく呟くと、何を思ったかカウンターに戻っていった。視界の端では、ちょうど有利が運んだ踏み台を棚の前に降ろしている。

 と、その視界が遮られた。目の前には、自分の文字と他人の文字。ヨザックがさっき書いた文の下に、彼女の走り書きが加えられていた。

 

『了解。で、あの二人は?まさかあなたの子供じゃないでしょ?』

 

 “子供”という部分に思わず噴き出しそうになりながら、お庭番は彼女の手から紙を受け取る。返事を書いた。

 

『オレの上司とその娘』

 

 職業柄、この手のやりとりは短文になる。必要最低限な情報しか書かないのが癖になっていた。

 相手に渡すと、彼女が驚いたような顔をする。そして今度はカウンターから筆記具を持ってきていたらしく、セリナもその場で返事を書いた。

 

『随分と若いのね。それに格好も変』

 

 「変」とストレートに言う(書く)あたりが彼女らしい。だが、この返事には少々頭を捻った。まさか正直に答えるわけにはいかない。

 話題の中心である当の王は踏み台の上、瓶を取っては娘に渡し、また棚に戻しては別の瓶を掴むという作業を繰り返していた。詰められている硝子玉の色の組み合わせが、瓶によって違うらしい。

 

『若いが苦労も多い。極度の寒がりで陽光にも弱い』

 

 少し間が空いたが、紙をセリナに渡す。

 本人の知らないところで彼をとんでもなく大変な体質の人物にしてしまったが、この際我慢していただこう。

紙を受け取った相手は「そう……」と呟き、それでこのやりとりは終わった。寒がりで陽に弱いことになっている人物が、こちらに声をかけたからだ。

「すみませーん!これとこれ くださーい!」

「あ、お買い上げですか?有難うございまーす」

 相変わらず聡い彼女が、何事もなかったかのように笑い、二人へと一歩踏み出す。その時だった。

 踏み台から降りようと身を反転させた有利の肘が、棚に残っている硝子玉の瓶に当たった。軽いそれは、簡単にその衝撃で棚から滑り落ちる。

「あっ!」

 小さく叫んだ主君が、落とすまいと条件反射的に手を伸ばす。普段の運動の賜物か、両手にそれぞれ掴んでいたお買い上げ予定の瓶を二本とも素早く右手に移すと、空いたもう一方の手で落ちていく瓶を掴んだ。しかし、自身の平衡を保つことまでは不可能で、彼の足は踏み台から宙へと移る。

「ユーリ!」

「坊ちゃん!!」

 お庭番は信じられない速さで駆け寄り、落ちてくる有利の真下に滑り込んだ。しっかりとその身体を受け止める。

「ユーリ!大丈夫!?」

「お客様!大丈夫ですか!?」

 グレタに続き、慌てた様子のセリナも駆け寄ってくる。

 この時、ヨザックが己の主にだけ気を取られていなければ、セリナが瞠目したことに気付いただろう。そしてそれに対する対処も早目にできた。

 だがこの時、彼は主君の無事を確認することで頭が一杯で、その他の様子に気を配ることなど完全に失念していた。

「いてて……。まーたやっちゃった」

「坊ちゃん、怪我は!?」

「あ〜、平気平気。瓶も割れてないし。ありがとな、ヨザック」

礼を言われながら見上げられ、血の気が引いた。

決して、主君の顔が血に濡れていたわけでも、ましてや あの毒の沼のように恐ろしかったわけでもない。むしろ、美しかった。

そう、見上げてきたのは美しい“漆黒の瞳”だったのだ。

 

素早く下に視線を走らせる。

少し離れた床の上――セリナの足元に、主君の色付きの眼鏡が転がっていた。

 

 

 

 

 

 

あとがき

 なぜだかビックリ、(3)まで伸びてしまいました。最近は長文癖が直ったと思っていたのですが……自分でも意外です。やっぱり(1)でちょとした表現をやりすぎましたかね。うむむ。

 とにかく、次でちゃんと本題に入ります。もうしばらくお付き合い下さいませ。

 それにしても私の書く有利、親バカだし、よく落下しますね〜。(←人事!?)

 

 

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