行かない残酷

 

 

 告げられた言葉に、ナミは一瞬、思考が止まった。

「何……言ってるの?」

「ナミさん、ほんとにごめん」

 謝ってくる相手は、ナミを見ない。こちらを庇うように片手を伸ばして背を向け、顔は瓦礫の隙間から外の様子を伺っている。

「分かるよ、なんでこんな野郎を担がなきゃならねぇーんだって話だよな。おれだってほんとはナミさんに触れさせたくもねぇし、そもそもレディーに力仕事なんて……――」

「そうじゃなくて!」

 ペラペラとバカみたいによく回る男の口に、余計ナミの怒りは煽られる。潜んでいるこんな状況でなければ、きっと大声で怒鳴りつけていた。

 発する声ばかり穏やかで、外へ向ける眼光はこれ以上なく鋭い男の横顔を、ナミは睨めつける。

「ここに独りで残るとか言い出さないわよね?」

「……」

 今度は、何も反応が返らなかった。ただ、男の左脚から、もう何度目になるか分からない鮮血がダラリと流れ落ちる。

 すっかり変色しきった彼のスーツのズボンは、最早液体を吸いきれなくなっていた。

「無茶よ、そんな身体で!両脚どころか全身ほぼやられてるじゃない!何とか無事な両手だって、あんたどうせ戦闘じゃ使う気ないんでしょ!?」

「うん、だから正直、次また連中に追いつかれたら、ナミさんを無傷で守りきれるか分からない」

「だから、一緒に逃げて――」

「いや。この状況じゃ、どう足掻いても船に着くまでにまた追いつかれる。だからナミさんは早く、そのゴムの塊を連れて船に戻ってくれ。それぐらいの時間稼ぎの足どめなら――」

「いい加減にして!」

 思わずナミは、目の前の血だらけのスーツの背を掴んでいた。小声で怒鳴る声が、知らず震える。

 

 分かっている。これは別に、自分のためだけに言われている言葉ではないと。

 ナミの傍らでぐったりしている船長の少年は、海楼石の網こそなんとか外せたが、同時に撃ち込まれた毒のせいで、呼吸が徐々に浅く短くなってきていた。急いで船に戻り、チョッパーに診てもらわなければ危ない。

 だがそれは、弱ったルフィを肩に担ぎながらここまでナミを庇い抜いた、眼前の男にも同様に言えることで。――これ以上戦うなど、明らかに無茶だ。

 

「そりゃあアンタは、能力者でもないのにめちゃくちゃ強いし、痛覚無いのかって疑いたくなるぐらい怪我の痛みにも強いのかもしれない!でもね、そんなボロッボロになって『ここはおれに任せろ』みたいにかっこうつけられたって、説得力ゼロよ!むしろかっこ悪いぐらい!そんなことされてもちっとも――」

「それは違うよ、ナミさん」

 背を掴まれても尚振り返らない男が、声だけで否定してくる。

 激昂しているこちらがバカみたいに、静かに、穏やかに。

「違う。おれはそんな超人じゃないよ。怪我したらやっぱ痛ぇし、今なんか正直、痛みで意識飛ばしてぶっ倒れられたらどんだけ楽だろうとか思ってる。これ以上戦って怪我すんのは嫌だし、死ぬのはもっと嫌だ。……――ほんと、かっこ悪ぃよな、おれ」

 ふっと、小さく男が息を漏らす――自嘲だ。

「知ってるんだ、自分がどれだけかっこ悪いかなんて。知ってるからこそ、かっこうつけたい」

 そこでようやく、男の顔がナミに向いた。

「――だっておれ、オトコのコだからさ」

 最早誰のものか分からない血がこびりつき固まった金髪の間から、ナミを真っ直ぐに見据えてきた。

 さっきまでの鋭さを消したその目は、現状に不似合いなほどに穏やかで。

 困ったように笑うその顔は、明らかに痛みに引きつっていて。

 

『男の覚悟をお前は!!踏みにじる気か!!!』

 

 空島でウソップに言われた言葉が、聞こえた気がした。

「……ほんとバカ、男って」

 呟いて、ナミはスーツの背から手を離す。代わりに、ルフィの腕を掴み引き上げた。

 脱力しているため、ズシリと肩に重みがくる。距離が近づいたせいで、苦しげな呼吸音も余計ハッキリと聞こえた。――急がなければ、危ない。

 ルフィを支えて立ち上がり、ナミは横目で男を見据えた。

「どうせかっこうつけるなら、痛くても辛くても、最後までキッチリかっこうつけなさいよ」

 死ぬなんてヘマをしたら、指差して嗤ってやる。

 見据える視線に想いを込めれば、男が小さく笑う。

「やっぱり最高だ、ナミさんは」

 嬉しげに吐かれたバカみたいなその応えには、ナミはもう何も返さなかった。問題ないだろう、その時には既に、男の顔も外へと向き直っていたのだから。

「ゾロを連れてくるから、それまで持ちこたえなさいよ」

 言い置いて駆け出したナミの背に、返事は返らなかった。

 

 

 

 メリー号へと戻ったナミは、治療のために慌ててルフィを倉庫へと運ぶチョッパーを手伝おうとするゾロの動きを制した。

 その脇を、能力で咲かせた手で大量の包帯を運ぶロビンと、お湯を沸かしにキッチンへと向かうウソップがすり抜ける。

「アンタはここはいいから、早くサンジ君のところに行くわよ!」

「コック?」

「さっき説明したでしょ!?サンジ君だってギリギリの状態なのに、まだ独りで戦ってるの!方向音痴のアンタ独りで行けとは言わないわ、私も一緒に行くから早く――」

「加勢しろってことか?――断る」

「なっ……」

 あまりにもアッサリとした物言いに、ナミは一瞬絶句した。が、すぐに怒りの感情が燃え上がる。

 脳裏に、血だらけのサンジの後ろ姿がチラついた。

「何言ってんのよ!?サンジ君、ほんとに危ないのよ!?こんな時まで意地張るつもり!?いくら普段喧嘩ばっかりしてるからって、今ぐらい――」

「そういうことを言ってるんじゃねぇ。お前、あいつを助けたいんだろ?」

「当たり前でしょ!?だから――」

「おれが行ったりしたら、あいつはそれこそ憤死するぞ?」

 思わぬ返しに、ナミは瞳目した。

 一見すればひどい言い逃れのようだが、語るその目にふざける色はない。口調もまるで、「太陽は眩しい」とか、そんな当たり前のことを言っているのと同じで。

「あいつは、おれにはそういうのを望んでねぇんだ」

 悲しむでも、苛立つでもなく、ナミを見据えたまま、ぐずる子供に言い聞かせるようにゾロは言った。

 その様子だけで、最早そのことはゾロの中で揺らがぬ真実となっているのだと理解するには充分で。

「だから、連れていくなら他を当たれ。おれは行かない」

 言い置いて、倉庫へと向かうその背を、ナミは引き留めなかった。

 わざわざ無駄なことをする気も無ければ、時間的余裕も無い。

「……なんでこんなにバカばっかりなのよ、男って」

 呟いて、ナミはキッチンに向かって駆け出した。

 

 

 

「はっ、……はっ、はぁ……、はぁ……」

 クソ、と内心だけでサンジは毒づいた。

 久しぶりに銃を使用したせいか、弾を撃ち放った利き手が軽く痺れている。手を直接戦闘に使って傷つけることを思えば、こちらの方がずっとマシだが、やはりいい気はしない。もっとも、だからこそ銃は足技が使えなくなった時の最終手段にしているのだが。

 相手の連中も、「足技だけじゃなかったのか!?」だの「卑怯者!」だのさんざん罵ってきた気がするが、そんなものは知ったことではない。勝手にそう思いこんでいる向こうが悪い。こちらは命がかかっているのだ。死ぬ気は毛頭ないし、今日はナミという女神との約束もあった。尚更死ぬわけにはいかない。

 気がつけば、空はもう暗くなり始めていた。路地に仰向けに倒れ込んだまま、ぼんやりとそれを見上げる。僅かに霞んで見えるのは、血を流し過ぎたせいか。

 敵は周囲に散らばって倒れている数人で最後のはずで、あとは自分がメリー号に戻るばかりなのだが、どうにも立ち上がる力が残っていない。しかし、早く船に戻らなければ、心優しい2人の女神達が不安に思うだろう。最早、最終手段として考えられるのは、辛うじて無事な両腕による匍匐前進か。

 とにかくまずは腹這いになろうと、サンジが痛む全身に力を込めようとした時だった。微かに、自分の名を呼ばれた気がした。目線だけをそちらにズラせば、こちらに駆けてくる人の姿。一つは麗しの航海士のもので、もう一つは、片手に救急箱を持った長っ鼻―― その、2人だけ。

 女神と長っ鼻。天使と変な鼻。美女と珍獣。何度目を凝らしてみても、目に映る結果は変わらない。大丈夫だ、例え出血多量で怪しい視界だとしても、これだけ確認したのなら間違いない。

 ようやく持てたその確信に、サンジは小さく笑い、目を閉じた。

 

「……そうか。マリモにも一応あったんだな、学習能力」

 

 そこに緑の腹巻きが見当たらなかったことに、サンジは心の底から感謝した。

 

 

 

 

あとがき (↓長文になっちゃいました、すみません!)

 アヤコ様から頂戴した「サンジ君の体調不良再び。または、かなりひどい怪我を負ってふらふらサンジ君。」というリクエストで書かせて頂きました。「優しさ=残酷」を気に入ってくださっていたようでしたので、その後の話をイメージしてみました。(一応、この話単品でも読めるようには書いたつもりですが。)そちらの話ではサンジ君は体調不良だったので、今回は怪我の方を選択。

 サンジ君の銃使用についてはちょっと悩んだんですが、「かなりひどい怪我を負ってふらふら」ということだったんで、逆に両手は絶対死守してそうだなぁ…と。そのために身体の他の部分は犠牲にしてボロボロなんだろうなぁ…と。それこそ、蹴り技ももう繰り出せないってぐらいに。そうなった時、大事な両手だけで対抗するとしたら…サンジ君の場合もう銃しかないんじゃないかな、と。

 ちなみにもしゾロがナミさんと一緒に来ていたら、サンジ君は意地でもその場に立ち上がって、ニヒルな笑みを浮かべてみせたと思います。身体が痛もうが、そのせいでまた出血しようが、笑顔が引きつっていて全然笑顔になっていなかろうが、そんなものは全部無視です。そして一つ二つ文句を垂れる。それが(拙宅の)彼のプライドです。

 それでは改めまして、アヤコ様、リクエストありがとうございました!

 

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