Run
away ! 〜逃げろ!〜(1) 真夜中。辺りは漆黒に包まれ、空に浮かぶ月だけが唯一の光……のはずだった。つい先ほどまでは。 しかし今、此処――とある街の広場は、松明を掲げ持った数十名の兵たちにより明々と照らされていた。 「草の根分けてでも探し出せ!見つけたら即刻斬り伏せろ!いいなっ!」 「はっ!」 ばらばらと散っていくそんな兵士たちの様子を、屋根の上から渋面で眺める男が一人。 「マズったなぁ……」 松明の炎に負けないオレンジ色を髪に有したその男は、小さく呟き、舌打ちした。 彼の名は、グリエ・ヨザック。そして、見つかり次第 即刻斬り伏せられてしまう人物というのは、彼のことだ。 「……ま、此処でこうしてたって始まらない、ってね。いっちょやりますか」 反動をつけて起き上がると、すぐさま彼は駆け出した。 家の屋根を数軒、そしてその近くに生えた巨木の枝へと音もなく飛び移ると、そのまま重さを感じさせない動きで地面へと降り立つ。 「いたぞ!あっちだ!」 少し離れた場所から声が上がったが、特に動揺はしなかった。 結構な数の兵士がそこら中に散っているのだから、見つからない方がおかしい。それでも極力、兵士があまりいない場所を選んで降りたつもりだ。 呼吸を整えることもせず、再び走り出す。背後から追ってくる兵に加え、先ほどの声に応じたのか、前方からも兵士が四・五人向かってきた。しかし、その程度の人数は彼の敵ではない。難なく彼等の攻撃をかわすと、ついでに一人から剣と鞘を拝借した。 幸いここは港町だから、海が近い。武器も手に入ったし、このまま走り抜けて港まで行くことができれば、あとはどこかの船に紛れ込んで本国に帰ることも可能だろう。 脳内で素早くこれからの算段を立てながら、ヨザックは細い路地裏に入った。うまくいけば港への近道だが、挟まれたらかなり厄介である。賭けみたいなものだ。しかし、運も実力のうち。自分の悪運の強さも知っているつもりだ。 薄暗いそこには、蓋の開いた樽が二つ並んでいるだけで、兵の姿は見当たらない。このまま一気に駆け抜けようと、更に走る速度を上げた時だった。 彼の目が、一瞬見開かれる。二つの樽のうちの一つ、雨水がたっぷりとたまっていた方の水面が、風もないのに微かに波打ったのだ。 剣の柄に指をかける暇があればこそ、その水面は盛り上がり、ザバァッ!という派手な音を立て、中から人影が現れた。 「プッハー!……って、あ〜あ。まーた今回のスタツアも、見知らぬ所に出ちゃったなぁ」 剣を鞘から半分抜いたままの体勢で、ヨザックは固まった。いや、正しくは呆然としていた。 辺りの薄暗さのせいで、はっきりと顔を見ることはできないが、聞き覚えのある声。そして何より、この漆黒の闇に難なく溶け込む、服や、髪や、その瞳。 「陛下……」 そこには、全身ずぶ濡れ状態の彼の主君がいた。 「あら、ゆーちゃん。こんな朝から出掛けちゃうの?」 「あぁ。村田を待たせてるし」 玄関先で靴に片足を突っ込みながら、有利は母親を振り返った。 彼の母・美子は、不満そうに頬を膨らませる。 「まったくもう。折角のお休みの日ぐらい、家族と一緒に……っていうより、ママと一緒に ゆっくりのんびり過ごそうとか思わないの?」 「……おれは何歳児だよ。っていうか おふくろも、ほっぺた膨らませて怒るって、どーよ」 「まぁ、ゆーちゃん!“ママ”と呼びなさいって いつも言ってるでしょ!?」 「あ〜、はいはい。わかった、わかった。じゃあ、行ってくるからー」 いつまでも終わりそうにない母の小言から逃げるように、彼は外へと飛び出した。 まだ後ろから何やら文句を叫んでいる声が聞こえるが、ここはとりあえずシャットアウトだ。 そのまま走って、近くの人気(ひとけ)のない公園へと向かった。 噴水の近くに立った友人を見つけ、片手を振る。 「村田―!」 「渋谷。ちょっと遅かったね」 友人眼鏡君の前まで来ると、膝に両手をやり、上がった息を整える。 「いや、これでも、走ったん、だって!玄関で、おふくろに、つかまって、さぁ……」 「なるほど、またまたお母さんと仲良くおしゃべりして来たわけかぁ。さすがはロリコン&年上好き。今度は人妻狙い?」 「ちっげーよ!仲良く話してもねーし、おふくろは普通に恋愛対象外!!」 「へ〜、“ロリコン&年上好き”は否定しないんだね」 「……」 なんだかもう、どんな反論をしてもこの友人には無駄な気がしてくる。 これで実は魔族の国の大賢者だというのだから、世の中は分からない。もしかして、ここでいう“賢者”とは、口が上手い奴のことだろうか。 「とにかく、とっとと向こうにいこうぜ。こっちと向こうじゃ、時間の進む早さが違うんだろ?」 「そうだね。じゃあとりあえず今回は、渋谷だけどーぞ」 「へ?」 お前は来ないのか?、と尋ねる間もなく、村田からドーンと噴水に突き飛ばされた。 水の外から 「僕は急遽、模試が入ってさ〜」という、友人メガネ君の暢気な声がくぐもって流れてくる。 「いきなりすぎんだよぉ〜〜〜っ!」 水中だからはっきり言えたか分からないが、それでも村田に対して精一杯に文句を叫んだ。 いつもの様にスタツアを終えて気が付くと、全身水に浸かっていた。しかも、この狭さには覚えがある。そう、木樽だ。 だが幸い今回は、前回と違い中身はただの水で、上の蓋も開いていた。酸素を求めて、そのまま上へと上昇し顔を突き出す。 「プッハー!……って、あ〜あ。まーた今回のスタツアも、見知らぬ所に出ちゃったなぁ」 顔を出したそこは夜だったらしく、辺り一面暗かった。それでも辛うじてぼんやりと周囲のものが見えるのは、上空にある月のお蔭だろう。 けれどこれだけでは、此処が眞魔国なのか人間の土地なのかまではわからない。とりあえずこの狭い場所から出ようと、樽の縁に両手をかけた時だった。 不意に、横から声が響いた。 「陛下……」 驚いてそちらを見やれば、人影が一つ立っている。気付かなかったのはおそらく、その人物が気配を消していたからだろう。 瞳が段々と闇に慣れてくる。彼の目が捉えたのは、半分抜いたままの剣を手に呆然とこちらを見上げる、お庭番の姿だった。 目が合った主君は、心底不思議そうな声で言った。 「あれ?ヨザックじゃん。どうしたの?そんな中途半端な体勢で……うわっ!」 あまりのことに呆然とし過ぎていて、樽から半身を乗り出していた主君がそのまま地面に倒れこむまで、思考が完全に停止していた。 我に返り、慌てて駆け寄る。 「すみません!大丈夫ですか?!」 「あ〜、へーき、平気。お蔭で一発で樽から出られたし」 打ち付けたらしい腰を擦りながら、有利が苦笑した。 「にしても、めずらしいな。今回のお迎え役はヨザック?いつもはコンラッドとギュンターの場合が多いじゃん。今日は二人とも忙しかったのか?」 「……」 主君の脇に膝を折りながら、ヨザックは思案する。 この発言からすると、もしや。 「あの〜、陛……いや、坊ちゃん」 「うん?」 「もしかしなくても、たった今、こちらにご帰還されたので?」 「え?そうだけど……あれ?もしかしてヨザックは、知らないでたまたま此処を通りがかったってやつ?」 「……最悪だ」 「はい?」 自分の主に対して失礼千万なのは重々分かっているが、それでも呟かずにはいられなかった。 無論、普段ならばそんなことは思わない。時折とんでもない奇行に走ることもあるけれど、彼が他人のために必死に奮闘する姿は見ていて気持ちいいし、からかえば実に面白い反応が返ってくる。一緒にいて全く飽きないお方だ。……普段ならば。 けれど今は最悪だった。自分一人逃げるのならば何ということもないが、主君を護りながら逃げるとなれば、その難易度はとんでもない角度で急上昇する。しかも、相手にしている敵はこちらを殺す気でいる。まさしく“殺さなければ殺される”の状態なのだが、この平和主義の王の前では、それも許されない。よって、相手の急所を外しつつ、でも追ってこれない状態にはするという、高度な技を要求されるのだ。 これを最悪というなと言う方が無理がある。もっとも、主君に危険が及べば、止められようがクビになろうが、相手を斬り捨てるつもりだが。 そんな危機的状況下にいるとはまだ気づいていない主は、暢気な声で言う。 「まぁ、いっか。そういうことなら多分、ここで待ってればもうすぐコンラッドたちが迎えに……――」 「いや、そんな悠長なことはしてられませんよ、坊ちゃん」 「え?」 訊き返してくる有利に答えず立ち上がると、主君の脇をすり抜け、地面に転がったままの木樽を今来た道へと力一杯蹴飛ばした。続いて、その横にあった空の木樽も同様に。 「おっ、おい!ヨザック!?」 「行きますよ!」 驚きの声を上げる主の手首を掴むと、ヨザックは一目散に駆け出した。 「ちょっ、ちょっと!何!?ヨザック!」 突然のお庭番の行動に、有利はたまらず声を上げた。立ち止まってちゃんと尋ねたいのだが、ゴツゴツとした手にしっかりと手首をホールドされているので、必然的にヨザックと一緒に猛スピードで走るかたちになってしまう。 「事情はあとでじっくり説明しますから、とにかく走って下さい!」 「はぁ?」 事情って何?と訊くより早く、背後から数人の走ってくる足音がした。お庭番に引きずられつつも、条件反射でそちらへと振り向く。と。 「なっ!?何あれ!!」 思わず目を見開いた。薄暗い路地の奥から、いくつかの明るい炎が追いかけてくる。その炎に照らされているのは、抜き身の剣を手にした兵士たち。 さっきの樽を蹴ったお庭番の行動の意味が、やっとわかった。 「おいおい、ヨザック!あんた何かマズイことやらかしちゃったのか!?」 「ですから、それは後でちゃんと説明しますってば!とにかく今は走って!!」 もちろん、言われなくともそうしますとも。と言うか、手首を掴まれているのだから、そうせざるを得ない。 わかりきったことだが、有利はとりあえず隣の人物に尋ねてみる。 「ヨザック……、もしかしなくても、おれって かなり最悪なタイミングでこっちに来ちゃった?」 「そのタイ……何とかってのが何かは分かりませんけど、褒めてあげたいぐらい最悪な時にいらっしゃったのは事実ですね」 「やっぱり……」 不意に、ヨザックが軽い舌打ちと共に立ち止まった。勢いを殺しきれず、有利はお庭番の背に激突する。けれど、不平は言わなかった。前方からも兵士たちが走ってくるのを確認したからだ。 たまらず後ろを振り向けば、こちらも先ほどの兵たちが、転がっている樽を少々もたつきながらも次々とのり越えてきている。 ここは一本道で幅もさほど広くはない。このままいけば、向こうが挟み撃ちを仕掛けてくるのは必至だ。 「まっ、マズイよ、ヨザック!八方塞がりだっ!いや、この場合二方塞がり!?」 「坊ちゃん、しっかりオレについて来て下さい」 思わず相手を見上げれば、冷静な声が返ってきた。目はこちらに向けず、じっと前だけを見据えている。 お庭番は掴んでいた有利の手首を離すと、代わりに剣の柄を掴む。空いていた左手は、既に鞘に添えられていた。 「こういう時は、前に突き進むのみ!」 叫ぶと同時、走り出したヨザックが素早く抜刀した。そのまま前方の兵たちに突っ込んでいく。 振り下ろされた相手の剣を弾き飛ばすと、その反動を利用して自らの剣を半回転させた。逆向きに握ると、そのまま柄の先端を相手の鳩尾に叩き込む。小さくうめき声をあげて男が倒れた。 「まず一人」 道幅が狭いことには利点もあった。敵も一人二人でしか向かってこれないのだ。 ヨザックは地面に倒れたままの男を跨ぎ、そのまま突き進む。新たに向かってくる相手の攻撃をあっさりとかわしてその腕を掴むと、足を払った。倒れ込むその男を掴み、前方からくるもう一人の兵に投げつける。 「三人」 次々と地に倒れ込んでいく兵たちを横目に、有利は必死でお庭番のあとを追った。彼の軍人としての腕は知っていたつもりだったが、ここまでとは。地面ですっかりのびきっている兵士たちに、合掌してあげたくなるほどだ。 「坊ちゃん!何やってるんです!?早く!」 「あっ、う、うん!」 結局、二人がその路地裏を抜け出したのは、有利の腕にあるデジアナGショックが二分も進まない間のことだった。 |
あとがき 導入部でした。そんなに激しくないはずですが流血シーンは(2)から出てきますので、苦手な方はお気をつけ下さいね。 はてさて、どうなることやら。また微妙に長くなりそうです。(苦笑) ここまでは、メインの2人以外は美子ママとムラケン君ぐらいしか出ていませんが、(2)からちょこちょこと 他の(マ)キャラも出てくる予定です。
|