Run
away ! 〜逃げろ!〜(3)+α 風に運ばれてきた雲が、月を隠す。屋根の上ならば月光を遮るものはないと思っていたが、甘かった。 そう。いつだって自分は考えが甘い。 独り取り残された屋根の上で、少年は人知れず、庭番から渡された剣を強く握り締めた。 「おれは……」 地へと降り立った瞬間、辺りが陰った。見上げれば、風に流された雲が月を覆っている。 「ツイてるんだか、いないんだか……」 暗ければ暗いだけ、相手にこちらの姿、特に顔は見えない。ただそれは、こちらにも言えることだ。無論、空の気分なんて地上の者にはどうすることもできないものだが。 苦笑いを浮かべ、お庭番は視界の見えにくくなった闇の中を走り出した。 「くそっ。どこに消えた」 男は唸った。 この港街にどこかからの間者が紛れ込んでいる、上司からそう告げられたのは定時になって仕事をあがろうとしていた時だった。 それでも自分たちの隊は関係ないだろうと踏んでいた。下の多くの兵が動く。自分たちのような最終手段として結成されている隊は、よほど手強い相手でない限り出動の命は出ない。 しかし今回の間者とやらは、その“手強い”者だったらしい。私服に着替えて帰ろうとする頃には、自分たちの隊にも召集がかけられた。 「焦るな。落ち着いていけ」 年上だが同期の男に肩を叩かれる。 わかってはいるが、やはり焦る。この件が片づかなければ、家に帰って休むことなどできないのだ。この国のためにというより、自分のために侵入者を早く捕らえたかった。おそらく、この場にいる兵たちのほとんども。 兵としては褒められた志ではないが、国もそれをとっくに承知しているらしい。間者とやらに懸賞金をかけたのがいい証拠だ。結局は誰もが、上のためなんかではなく、自分のために動き、働いている。そういうものだ。 「どっかに隠れてるんだろうけどな」 「これだけ地上を探してもいないんだ、あとは屋根の上か…――」 バキッ! 妙な音を耳が拾うと同時、目の前を何かが左から右へと飛んでいった。と思ったら、ざざぁっ、と砂埃が舞う。そこには、少し離れた場所で捜索をしていたはずの仲間が地面でもんどりうっていた。 「なっ!?」 仲間が飛んできた方向に目をやれば、指を鳴らして仁王立ちする男の影。 「悪いねぇ。ここから先は、通すわけにはいかないんでね」 それは、乱れた髪に宿した橙色が炎のような、容貌魁偉という言葉がピッタリの男だった。 できるだけ派手に相手を殴り飛ばしたのが功を奏したらしい。あちこちに散っていた兵たちが騒ぎを聞きつけて集まってくるのを見て、お庭番は内心ほくそ笑んだ。とにかく一人でも多く、自分の方に引き付けておくべきだろう。 「こいつが間者か!?」 「女じゃなかったのか?」 「バカ、女装だったんだよ」 好き勝手に騒ぐ声の中、マズイ言葉が耳に届く。 「なぁ、もう一人いるんじゃなかったのか?」 「おーい、アンタ等」 舌打ちしたいのを心中に留め、すかさず声を張り上げる。下手に同調される前に先手を打たなければならない。 「いつまでそうやってボーッとしてるんだ?折角こっちから出てきてやったってのに。オレにぶん殴られた奴を見てビビッたか?情けない兵だねぇ〜」 眼前に並ぶ男たちを取り巻く空気がグッと下がった。ここまで言えば大抵の奴は挑発にのってくる。それも、この兵たちのように上級扱いを受けている者が相手なら、効果は倍だ。 それぞれが色めきたって抜刀する。とりあえず自分に注意を向けさせることには成功したらしい。その分、自分に対する敵の殺意も増幅してはいるが。 「くそっ!丸腰の奴に何ができる!」 この中では短気なのだろう、小太りの男が単身で突っ込んできた。 「おっと」 勢いよく振り下ろされた剣を一歩退いてよける。勢いあまってよろけた男の鳩尾に膝蹴りを一発おみまいした。小さな呻き声を上げて崩れ落ちる男をみなまで見ずに、その手から剣を奪うと
すぐさま上段に構える。キーン、という独特の金属音。どうやら上級の兵ともなれば、一人ずつ攻撃を仕掛けてくるような上品なマネはしてくれないらしい。 腕に力を込め、二人目の剣を上空へ弾く。続けて己の剣をそのまま横に薙ぎ払い、間近まで迫っていた男二人のベルトを切り裂く。奇声と共に慌てて自身のズボンを引き上げる兵の様を横目に、お庭番は内心苦笑していた。 ―――オレはどうかしてる。 相手を斬り伏せようと思えばできるのに、気付けばこんな行動に出ている。 殺さなければ殺されるんじゃなかったのか。 今は平和主義の王もいない。 昔の己ならば、迷わず斬っていたはずなのに。 ……こうなってしまたのは、一体誰の影響か。 腕に異変を感じたのは、そんな時だった。背後に気配を感じ身を反転させた瞬間、左腕に鈍痛が走った。見れば、巻かれていた白い布に赤がじわじわと広がっている。傷口が再度開いたのだ。 それでも構わずヨザックは剣を振り上げた。腕に気をとられたのは、時間にしてみればほんの一瞬。しかしその一瞬が命取りとなり。 相手の剣の動きの方がわずかに速かった。 ―――しまった! ガン! 響いた音は、剣の鋭いそれとはかけ離れたものだった。しかも発生源は、自分の頭上ではなく相手の頭上。 力なく膝から崩れ落ちる兵に代わり、ヨザックの前に現出したのは。 「坊ちゃん……」 鞘に納まったままの剣を手に、肩で息をしている主君だった。 「どうして!」 「ごめん、甘い考えだってわかってる。だけどやっぱり、あんただけ残して逃げるなんてできない」 「……」 強い意志を湛えた黒の瞳が、お庭番に説得を諦めさせる。この目をした時の主君を止めることなど自分には不可能だと、今までの経験で嫌になるほど熟知していた。 周りの兵たちが騒ぐ。 「やっぱりもう一人いたか」 「二人引き渡しゃあ、懸賞金も二倍だ!」 欲にくらんだ連中が一斉に押し寄せてくる。 「ちっ!」 主君をその背に庇い、応戦するべく剣を構えるが、多勢に無勢。一度に三人押し留めるのがやっとだった。 脇をすり抜け、数人が有利に向かう。 「坊ちゃん!」 振り返ってお庭番が叫んだのと、有利の前に黒い影が滑り込んだのは同時だった。 銀の線が閃き、男たちがバタバタと倒れる。 「ユーリ!怪我は!?」 「コンラッド……」 「隊長」 自分の分の兵を片付け、お庭番がもう一度振り向けば。 「ヨザック……あとで覚えておけよ」 ギロ、と鋭利な視線で射抜かれる。 この現状を考えれば仕方ないことだが。 「やっと見つけたぞ、ユーリ!」 「陛っ……いえ、ユーリ様!ご無事ですか!?」 婚約者殿と王佐閣下も剣を片手に駆けつける。有利が言っていた“お迎え役”の面々なのだろう。 所々服が破けているのを見るに、彼らもここの兵と何度かやりあったようだ。 ―――オレのせいで この三人にも……。 マイナス面へと思考が傾きかけ、お庭番はかぶりを振った。 これは、この件が片付いてから考えればいいことだ。今は戦闘に集中しなければ。 フォンビーレフェルト卿にフォンクライスト卿、そしてウェラー卿にヨザック。この四人が揃えば、いくら相手が多少手強かろうと、この場の戦闘の結果は決まっているようなものだった。 「坊ちゃん、大丈夫ですかっ!?どこか怪我は?!」 兵たちから逃げきり、安全な場所へと出ると。 有利に一番に駆け寄ってきたのは意外にも、婚約者でも 泣き濡れて汁だらけの王佐でもなく、お庭番だった。 見詰めてくる青の深さが、本気で心配してくれているのだと伝える。今回のことで一番責任を感じているのは彼だろう。そう思い、相手を少しでも安心させるように有利は笑った。 「大丈夫。ヨザックのお蔭で、どこも怪我なんかしてないよ。おれの方こそ足引っ張っちゃっ……ぐっ!?」 「よかったー。もう、坊ちゃんに何かありでもしたらどうしようかと……」 怪我をしていない、という言葉で安心したのか。お庭番は話の途中でガシッ!と有利に抱きついてきた。 ちょっと窒息しかけたが、有利は頭の片隅でぼんやりと思う。 ―――そうかもなぁ。一応おれ王様だから、おれに何かあったらヨザックも結構な罰があったんだろうし……。 “臣下の心 王知らず”な思考だが、鈍い本人がそのことに気付くはずもない。 「こらー!グリエーっ!!」 耳に響くキンキン声で有利は我に返った。 顔を向ければ、炎を背負った金髪美少年。 「何をそんなにくっついている!?さっさとユーリから離れろっ!!」 「何怒ってんだよ、ヴォルフ。ヨザックは単におれのことを心配してくれただけで……。っ!?」 有利は嫌な予感に言葉を止めた。頭上で小さく、お庭番が忍び笑いを漏らしたのだ。 マズイ!絶対に今、何か企んだ!そう思った時には、有利の胴体に回されていた腕に更に力が込められた。 「ぐえっ!」 「なーに照れちゃってるんです、坊ちゃん?グリ江と あ〜んなことやこ〜んなことをした仲じゃないですかぁ〜」 「はぁ!?」 予感は見事的中した。 ヴォルフによりヨザックの腕から乱暴に剥ぎ取られると、凄い形相で胸倉を掴まれる。眼前にあるエメラルドグリーンが緑の炎に見えた。 「ユーリ!お前という奴はどこまで尻軽なんだ!?あ〜んなことやこ〜んなこととは何だ!?言えっ!」 「知るかっ!こっちが訊きたいぐらいだっての!」 「しらばっくれる気か!?ぼくという婚約者がいながらお前は〜〜〜っ!!」 「だから何にもねぇーって! おい!ちょっとヨザック!?」 誤解を訂正しろ、と目で訴えてみるが、相手は面白そうに笑ってこちらを眺めているだけ。王佐は王佐で、ヨザックの爆弾発言と同時にショックで卒倒したらしい。先程、放物線を描く真っ赤な液体が見えたので。 最後の砦の名付け親の姿も、なぜか見当たらない。 「ユーリ!この期に及んで まだグリエの方を見るのかっ!?」 「違う!だから誤解だーっ!!」 辺りが段々と白み出し、太陽が頭を覗かせる。 魔王の叫びが、夜明けの空に虚しく響いた。 *****( +α )***** 帰城早々、陛下はオレを捕まえた。 「ヨザック!何だったんだよ、さっきのあの発言はっ!」 「さっき?」 何となくどれを指しているのかは判ったが、あえてとぼけてみる。 「あれだよっ!『あ〜んなことやこ〜んなこと』ってヤツ!何であんな嘘つくんだよっ!?」 「おや、嘘じゃありませんよ?」 ニンマリ笑い、用意していた屁理屈を告げる。 「陛下と一緒に、“歩いた”り “コソコソ話”したり したじゃないですか〜」 瞬間、ドッと陛下の周囲の気温が下がった気がした。例えるなら、頭上からドーンと岩が降ってきたような衝撃? 「“歩いた”の“あ” に、“コソコソ話”の“こ” ……?」 「そ。だから、“あ〜んなこと”や“こ〜んなこと”。 ね?」 女装はしていなかったが、グリ江気分で軽く小首を傾げてみれば。陛下の中で何かが切れるのが見えた。 「何が『ね?』だっ!?だったら何で普通にそのまま言わないわけ!?おれがあんたのあの言葉のせいで、どんだけヴォルフに首を締め上げられたことかっ!!」 ギャーッと一気に文句を叫びだす陛下に、「はいはい、すみませーん」と軽―い相槌をうっていたオレだけど。 実はオレも、ものっすごく後悔したんですよ、陛下。 あの一瞬の焦りと判断を。 「こらー!グリエーっ!!何をそんなにくっついている!?」 プー閣下にそう怒鳴られて初めて、オレはようやく気付いた。自分が陛下に抱きついていたことに。 その瞬間、オレの胸に降って湧いた感情は “焦り” だった。 元々、女装以外の時に他人に抱きつくようなことがそうそうなかったこともある。だがそれ以前に、自分以外の者の身をこんなに取り乱してまで案じている自分に驚き、戸惑い、そして焦った。 自分は自分の身だけ心配していればいい、他者のことにまで気を揉んだところで自身の動きを鈍らせるだけ……そう思っていたのに。 戦時中、コンラッドの無事を確認した時でさえ、あいつに抱きついたりはしなかったのに。 何とか誤魔化したい。そう思った果ての行動が、これだった。 「なーに照れちゃってるんです、坊ちゃん?グリ江と あ〜んなことやこ〜んなことをした仲じゃないですかぁ〜」 わざとらしい忍び笑いをこぼして、陛下に回していた腕に更に力を込めれば……。 「ユーリ!お前という奴はどこまで尻軽なんだ!?」 怒髪天で陛下の胸倉をつかむプー閣下と、必死に否定する陛下。 狙い通り痴話げんかを始めてくれる二人に、ほっと息をついた……のだが。その顔もすぐに凍った。首筋にあてられた冷たいものと、背後から流れてくる悪寒がするほどの殺気で。 「……たっ、隊長ぉ?」 「振り向くな。笑顔のままでいろ。ユーリに気付かれないようにな」 低い声で囁かれるそれは、有無を言わせぬ強さを放っている。 オレとしたことが、この超が付く過保護な男の存在を忘れていた。やはり焦った時の判断にはミスが付き纏うものらしい。 「あ!ほっ、ほら!見て下さい隊長!坊ちゃんが助けを求めるようにキョロキョロしてますよ」 「大丈夫だ。お前はガタイだけはいいからな。その無駄に多い筋肉のお蔭で、ユーリからは俺の姿は見えない。お前の首筋にあるこの剣もな」 「そーいう意味じゃなく、助けてあげなくていいのかなぁ〜と……」 「心配ない。ユーリとヴォルフラムのやりとりなんて可愛いものだ。だが……」 「ひっ!」 オレの肩を掴んでいる奴の手に更に力が込められる。 爪!爪立ってんじゃねぇーの!? 「お前は別だ。何しろユーリに、あ〜んなことやこ〜んなことをしてくれたらしいからなぁ……」 振り向くな命令が出ているため直接相手の表情を見られたわけじゃないが、確信があった。コイツは今、絶対、「ウチの子に手を出すな!」の過保護な親の顔をしている。 「えっ、えーと、だからそれは……一緒に“歩いた”り “コソコソ話”したり〜、っていう……――」 「ふざけるな!怪我したいのかっ!?」 「したくねぇよっ!っていうか、本当にそういう意味で……――」 「嘘をつけ!」 「嘘じゃないってのー!」 ……その後の結果なんて、思い出したくもない。 お蔭で結局、お迎え役の三人に今回の件に巻き込んでしまったことを謝る機会も、すっかり逃してしまった。 |
あとがき ううぅ……だめですね、日数が空くと。(2)を書いてから1ヶ月以上経っていると、流れがわからなくなっていて参りました。もちろんそれは、私の力不足も充分原因の一つになっているのですけど。
(泣) いつか書き直したいなぁ、この話。とりあえずこれが今の精一杯の悪あがきでした。 |