あいつのことを考えながら歩いていたら、本当にあいつが独り、向かいからやってきた。 普段のぼくならば、ぼくの偉大なる愛の力が呼び寄せた奇跡だと素直に喜べたかもしれない。 けれど、此処は城下で。おまけにぼくは、普段のぼくではなかった。 年下の大人 怒鳴りながらぼくが歩み寄ると、有利は慌てたようにぼくの口の前に人差し指を立ててきた。 「バカ、ヴォルフ!お忍び中なんだから、おれの名前を出すなよ!」 「バカはどっちだ!?何でお前はそう、単独行動をとりたがるんだ!?」 へなちょこの王とはいえ、護衛もつけずに城下をうろつくなど、本来あってはならないことだ。 有利はお忍びだなどと言っているが、フードを目深に被ったところで、城下の中でも城により近い此処に住まう者たちには、既に正体がバレてしまっている。纏うマントがいつも同じ物だからだ。バレていないと思っているのは本人ぐらいか。 だから本当のことを言えば、有利がこの辺りを独りでうろついたとしても、それほど大きな危険はない。ないけれど、だからと言って見逃すわけには、やはりいかない。 まったく、これだから十六歳のお子様は困る。 「有利、お前はもっと王としての自覚を持て!」 「だって、お供の人がぞろぞろいたら、お忍びにならないだろ?」 「だから、そもそもそこから間違っているんだ!王がしょっちゅうお忍びに出かけるとはどういう了見だ!?王なら王らしく、落ち着いて城にドンと腰を据えていろ!どうだ、ぼくの言葉は間違っているか!?」 「いーえ、ごもっともです……」 ぼくの剣幕に気圧されたのか、有利が顔を引きつらせる。 道を行き交う民たちが時折興味深げにこちらを見てくるが、構うものか。 「まったく、そんなことだからお前は……。っ!」 勢いでつい口走りそうになった言葉を、寸でのところで呑み込んだ。わざわざこいつに聞かせることでもないと思ったからだ。 なのに有利は、こちらの気も知らず、バカ丁寧にそこへ足を突っ込んでくる。 「え?おれが何?」 「……何でもない」 「嘘つけ。っていうかさ、お前、なんか怒ってない?此処でおれと会う前から既に」 「だから、怒ってなどいない!どうしてぼくが、他者からお前の治世に対する不安を言われたからといって、怒らなければならないんだ!?」 「……おれ、そこまでは言ってないんだけど?」 苦笑され一瞬、しまった、と思う。けれど内心ですぐに、一度口に出してしまったものは仕方ないと開き直った。 それほどまでに、今のぼくは苛つきが最高潮だったのだ。 ここ数日、ぼくはビーレフェルトの屋敷に戻っていた。すると、何度か顔を合わせたことのある臣が、ぼくにとある進言をしてきた。 「やはり王位には、前王ツェツィーリエ様の血を引くお方がつかれるべきでは……――」 おそらく、グウェンダル兄上のことを言いたかったのだろう。 気持ちは分からなくもない。何しろ有利は、前代未聞のへなちょこ魔王だ。どうして眞王陛下があいつを魔王に選んだのか、ぼくは未だに納得がいかないほどだ。 だからぼくは、これでもかと今までのあいつのへなちょこっぷりを話してやった。ヴァン・ダー・ヴィーアでのこと、スヴェレラでのこと、ヒルドヤードでのこと。 いかにあいつが呆れた奴であるかを語っているつもりだった……のだが。どういうわけだか気がつくと、どれも最終的にはあいつの言動を肯定する形に話が纏まってしまう。ぼくはただ単に、あいつは周囲の手助け無しではやっていけない奴だということを言いたかっただけなのに。 仕舞には、進言してきた臣までが、納得顔でぼくの前を去っていく始末だ。 そんなことがあったせいで、ぼくは屋敷から血盟城へと帰る道すがら、王としての有利について頭を悩ませていたのだ。そうして、此処であいつに出くわすに至る。 目の前に立つ有利は、ぼくの発言に対して、意外にもそう大きな反応は示さなかった。苦笑は浮かべたままだったが。 「おれのこと、何か言われたのか?」 静かに問われた。口調に責める色は無く、むしろぼくを気遣うような言い種で。 有利のそんな態度に余計腹が立ったが、表には出さずに言った。 「……ぼくは、初めてお前を見た時、絶対王に相応しくないと思った」 「うん。知ってる」 見た目には知的さも厳かさもなく、むしろ庶民の纏う空気に似たものさえ感じた。 「今だってお前はへなちょこだ。本当は、魔王を名乗るなど二百年は早いとぼくは思っている」 「……うん」 貴族としての嗜みもなく、戦いを指揮することもできない。おまけに下々の者との交流を自ら求め、畏怖を与えることさえも知らない。 生きる上での経験は、十六年という未熟さだ。 「だけど」 ぼくは、思わず両の拳を握り締めた。もう苛つきはとっくに頂点を越えていて、機関銃のように口が勝手に次々と言葉を発する。 「他の者から……お前のことを何も知らない者から、お前のことをへなちょこだなんて言われたら、妙に腹が立つんだよ!どうしようもなく不愉快になるんだよ!自分でも不思議なくらいだ、悪いかっ!?」 まるでヤケクソのように一気に吠えた。 有利が何も答えないせいで、肩で息をする自分の呼吸音だけがやけに耳に響く。 そうだ。ぼくはあの時、腹が立った。私情に流されないように、上の者として下の者からの進言を正しく解するために、その自分の感情に気付かないふりをしたけれど。それでも結局は、あの臣の前で有利を肯定していた。 身分や血にこだわる臣が、かつての自分のようで。そして何より、有利のことを誤った目で見られているのが不快で。 あの時ぼくは、腹が立った。 ぼくの息が整うのを待って、有利はようやく口を開いた。 「まったく。お前はどっかの母親かよ?」 呆れとも苦笑ともとれる声。 意味が分からず、目だけで先を促した。 「ほら、たまにいるじゃん?自分では『ウチの息子はバカでー』とか言うのに、他人に息子をバカにされると怒る母親」 言って、有利は笑う。 目深に被ったフードから覗くその瞳はひどく澄んでいて、口も相変わらず弧の形を保っていた。 有利の右手が伸びて、ぼくの肩を軽く叩く。 「ありがとな、ヴォルフ」 そう呟くこいつは、十六歳のくせに、幼気な子供を見守る大人のような優しい顔をしていて。 だからぼくは余計、涙を堪えるのに必死にならなければならなかった。 |
あとがき 「地(マ)」の冒頭にある、ヴォルフラムの独白の続き…という想定で書かせていただきました。以前書いた「泣きたいのだけれど」では、ヴォルフの言葉で有利が涙ぐんでいたので、今度は逆を書いてみようかな、と。 ちょっと大人な有利でした〜。 |