※この話は、「そうして、今日も」と「与えたもの、与えられたもの」の続編として書いています。

 一応、これまでの経緯も軽く冒頭で説明してはいますが、やはりこれらを未読の方には分かりにくいものとなっております。ご了承下さい。

 

 

 

 

Constant

 

 

 男は、難しい顔でその店の前を何度も行ったり来たりしていた。

 彼の名はグリエ・ヨザック。「水平線に沈んでいく夕日の様」とも、「腐った柑橘類の様」とも、両極端に称される橙色の髪を有する、眞魔国の敏腕諜報員である。潜入先で影のように立ち回り、時には女装をして相手を欺く。(もっとも、他者からは女装は趣味だとも言われるが。)だが、戦闘員として鍛え上げられた彼の筋肉質な体格では、一般的に売られているような女物の服は着ることができない。

 そこで登場するのが、彼がさっきから行ったり来たりを繰り返しているこの店である。ここは、セリナという魔族の娘が一人で営む洋服店。比較的安い値段で服を一から作ってくれ、おまけに手縫いと魔力をうまく使い分けて作られるそれは、仕上がりが早く、出来も確かだ。

 加えて店主のセリナはさっぱりとした性格で、客に対して気安く、けれど必要以上の干渉はしてこない。立地条件も、城下とはいえ城から一番遠い地域にあるため、職業柄身分を隠している彼としては有り難い店だ。

 

 そんないきつけの店に、なぜ彼はなかなか入ろうとしないのか。それは、数日前に遡る。

 魔王とその愛娘の城下お忍びに付き合わされる羽目になったヨザックは、どんな運命のいたずらか、二人と共にこのセリナの店へと入ることになってしまった。

 それでも、必死に少年が王であることを隠していたのだが、ここでも突発的事態が起こり、セリナに少年の正体がバレてしまったのだ。必然的に、諜報員とまではいかなくとも、ヨザック自身が王に仕える身であるということも。

 もっとも、彼女はその時、何事もなかったように振舞っていた。けれど、色つき眼鏡が外れて顕になった黒瞳、頭髪を隠すように被った季節外れの毛糸帽。どう考えても、少年が王であることを悟ったうえで、彼女が気を遣ってくれたとしか思えない。

 

 その日以来、ヨザックはどうにもこの店には近付きがたかった。王と共に自身の職がバレてしまったこともあるし、騙していたわけではないとはいえ、少しばかり罪悪感に似たものもある。

 ならば他の洋服店へ行けばいいのだが、そうできない理由があった。あの日の事件よりも前に注文していた服があり、それが明日からの任務でどうしても必要なのだ。今更他の店に注文したところで、明日には間に合わない。

 任務のためにもこの店に入るべきだと分かってはいる。分かってはいるのだが、情けないことにどうにも覚悟が決まらない。

 自分は一体、どんな顔をして店に入っていけばよいのか。

 

「お客さん」

「っ!?」

 突然背後からかけられた不機嫌そうな声に、ヨザックは文字通り飛び上がった。

 振り返れば、開いた店の扉に、見知った女主人と買い物籠を下げた中年の女。

「店の前でウロウロするの、やめてもらえます?ウチのお客さんが店から出られないんですけど」

「あっ、あぁ……。こりゃ失敬」

 慌てて道を空ければ、中年の女にすれ違い様にギロリと睨まれた。おばさんの恨みを買うと実に恐ろしい。

 そんな女に、にっこりとした笑顔で「有難うございましたー!」と頭を下げたセリナは。顔を上げると同時、横目でヨザックを見上げてきた。

「で?お客さんはどうするの」

「え?あ、いや……」

 いつも通りの声。いつも通りの表情。相手の変わらぬ態度に、何だか拍子抜けする。

 あまりにも何事もなかったように振舞うものだから、一瞬、甘い考えさえ持ちそうになった。――もしかしたら、少年の正体に気付かなかったのか……と。

 ヨザックの返事も待たずに、彼女はさっさと踵を返し店内へと足を向ける。

「一応、前に頼まれていた服は出来上がってますよ。入るも入らないも自由ですけど、他のお客さんの邪魔なんで早く結論出して下さいね、“ヨザック”さん?」

 チラ、と振り向いた意味深な笑顔に名を呼ばれ。お庭番は軽く諦念の息を吐いた。

 自ら名乗った覚えはない。が、先日彼女の前で主君が彼の名を呼んだ。

 やはり、甘い考えは甘いものでしかなかったようだ。

 

 

 

 セリナから少し遅れて扉をくぐると、変わらないベルの音が軽やかに鳴った。数日ぶりでしかないのに、やけに懐かしく感じる。

入り口の向かい、木目調のカウンターの下でごそごそと動いていた女店主が立ち上がった。

「どうぞ、頼まれてた女給(ウエイトレス)仕様の服」

カウンターに置かれたそれに目を向ける前に、ヨザックは顔を上げた店主を見つめる。

「なぁ。この間のことは……――」

「どうりで靴が、ひと月でボロボロになるわけね」

意を決したお庭番の言葉をみなまで待たず、セリナは小さく肩を竦めた。

「成る程確かに、“あの方”の下で働いてるんじゃ、危険なことも多いでしょうね」

「セリナ」

「でもその割には親しそうだったわよね、驚いたわ。部下というより友人みたいで。まぁそれはつまり、“あの方”が身分の上下なんて気になさらないってことなんでしょうけど」

「おい、セリナ。話を」

「大丈夫」

キッパリと言い切った彼女の言葉が店内に響いた。口を閉じるヨザックに、セリナが微笑んでみせる。

「さっきは店に入ってもらうためにあなたの名前を呼んだけど、あの時のことはまだ誰にも話していないし、これから先も言うつもりはないわ。あなたの前でも、たった今これから、もうこの事は口にしない。勿論、あなた自身のこともね」

さて、と呟いた店主は、カウンターに置いたままだった服をヨザックに差し出す。

「試着、するでしょう?」

カーテンで仕切られた小部屋を指さされ、勢いに気圧された彼は注文の品を受け取る。

結局、返せた言葉は一言だけ。

「……恩に着る」

苦笑するお庭番に、セリナは軽やかに笑った。

「何のこと?お客さんに試着室を開放するのは当然よ」

 

 

 

カーテンを引いて試着室を出ると、棚の整理をしていたらしいセリナが顔を上げた。

「どうだった?」

「文句なし。さすがだな」

率直な感想を告げれば、相手は心底嬉しそうに笑う。

 

今回のような女給の服は、屋敷によってデザインが決められているのが常だ。よって、予めヨザックが潜入先の女給服を調べ、スケッチしたものを渡して注文した。それでもそれはスケッチでしかなく、デザイン画ではない。それを元にここまで現物に近いものを生み出す彼女の手腕は、手放しで賞賛できた。

以前、袖口の釦の付け方が苦しかったこともあったが、あれ以降袖口も丁度よく調整されている。勿論、今回も。

お世辞など抜きで「文句なし」と言えた。

 

「じゃあ、これでいいのね。包んでくるわ」

「あぁ、頼む」

服を持ってカウンターへと引き返していくセリナの気配を頭の隅で追いつつ、ヨザックは店内をぐるりと見回した。

一目で年季が入っていると分かるミシン。壁に沿って置かれている背の高い木棚たちには、布や裁縫道具、装飾用の小物に既製服などが、見た目も考慮して並べられている。窓から差し込む光は、木製の店内に茶とこげ茶のコントラストを生じさせていた。

初めてこの店に足を踏み入れてから数年経つ。もう見慣れたもので、どの棚にどんな品が並べられているのかをすっかり把握している。それぐらい、この店にも、彼女にも、世話になってきた。

けれど。

 

――またどこか、店を探すかねぇ。

 

先程のセリナの言葉を信用していないわけではない。彼女はきっと、魔王のこともヨザックのことも、誰にも口外しないだろう。

だが、知らないことと知らないふりをしていることは別だ。彼女に故意はなくとも、いつ綻びが出るか、いつ彼女にもその影響が降りかかるか、わからない。ならばもう、自分はこの店に近づかない方が得策だろう。

 

 

「っ!?」

ピクリ、と突然お庭番の片眉が跳ねた。不意に体に僅かな振動が走ったのだ。

ヨザックがそれを知覚するのと、服を包んでいたセリナが軽々とカウンターを飛び越えたのはほぼ同時。瞬間、視界がグラグラと揺れ始めた。いや、正確には地面が。

揺れる足場にもフラつくことなく着地した女店主は、そのまま店の扉に向かって駆け出す。一瞬だけ、ヨザックに視線が投げられた。

「お客さんは念のため安全な所に!」

この地域は、昔から比較的地震が多い。長年ここに住んでいる彼女にとっては慣れたものなのだろう、迷うことなく出口確保の扉を開けた。が、開かれた扉が妙な音を立てる。

「え!?」

弱くなっていたらしい蝶番にひびが走った。揺れに合わせるように、外れた扉がセリナに倒れかかってくる。

「っ!」

「セリナ!」

気づいた時には既に、彼の足は動いていた。

 

 

「……おい、大丈夫か?」

自身の背中に扉を乗せたまま声をかければ。瞠目したセリナがヨザックの下から素早く這い出し、扉をどけにかかった。

周囲に注意を戻せば、いつの間にか地震は鎮まっている。まだ余震はくるのだろうか。ぼんやりとそんなことを考えていると、軽くなった背中側から怒鳴り声が降ってきた。

「何考えてるのよ、お客さん!」

振り仰げば、店主の女が顔を歪めて立っている。ひどく怒っているようにも、今にも泣き出しそうにも見えた。

四つん這いに近かった体勢を起こすと、背中に微かな熱が走る。見れば、周囲にはガラスがいくつか散らばっていた。扉にはめ込まれていたものが割れたらしい。背中もこれでかすり傷か何かをつくったのだろう。

「なんで私なんかを庇うのよ!?あなたは……っ」

一瞬言葉を濁した相手は、視線を逸らして続ける。

「他に守るべき人がいるでしょ!?こんなことで怪我してどうするのよっ!?」

「気にするな。こんなの怪我のうちに入らない」

「っ!そういう問題じゃ」

「それに。これも“あの人”のためだ」

口の端を上げれば、セリナの勢いが少し弱まる。怪訝そうに眉根が寄った。

「たとえ民だろうと、傷ついたことを知ればあの人は悲しむ。ましてや、あんたなら尚更だ」

「何でそんなこと……」

「分かるさ。あんたがオマケで持たせた瓶、あの人 机上に飾ってるからな」

セリナの瞳が揺らいだ。お庭番は小さく笑う。

「ま、元はといえば、ここの扉乱暴に開け閉めしてた一人はオレだしな。自業自得といやぁ、そうだろ?」

肩を竦めてみせれば、セリナから完全に怒りの色が消えた。

ため息を吐いた形の良い唇が言葉を紡ぐ。

「……ほんと、あなたって馬鹿ね」

「それって誉め言葉?」

ニヤリと笑んだ男に返ってきたのは、小さな苦笑と「ほんとに馬鹿」という一言だった。

 

 

 

一通り店の片付けを手伝えば、もう外は茜色に染まり始めていた。

「今日はありがとう」

店の包みを抱えたセリナが笑いながらそれを差し出す。受け取り代金を手渡した。

「こっちこそ。傷の手当て、助かった」

それじゃ、と片手を上げてカウンターから離れると、背中から声が追いかけてくる。

「もうこの店に来ないつもり?」

核心を突かれ、思わず足を止めた。

黙したまま、カウンターを振り返る。彼女は静かな目でこちらを見ていた。

「お客さんがどの店に行くかなんて、その人の自由だと思ってる。でも、」

彼女の細くて長い指が、店の壁の一角を指差す。

「ウチの店を舐めてもらうのだけは困るわ」

ニッと笑ったセリナの指が示す先、さっきの地震の影響で少し傾いている額の中には、墨で力強い文字が書かれていた。それは、この店で代々受け継がれているという言葉。

 

『お客に不利益を被らせない』

 

ヨザックは、小さく息を吐き目を閉じた。

すっかり胸の内を見透かされていたらしい。やっぱり彼女には敵わない。

扉を失った出入り口から、彼の背を押すように突風が吹き込んだ。

「……白衣の天使」

「え?」

風によって吹き上げられた自身の橙の髪が、重力に従ってゆっくりと下りてくる。

目を開き、相手に笑いかけた。

「白衣の天使が着そうなエプロンドレス、頼むよ」

驚いたようにパチパチとセリナが瞬く。が、すぐに彼女もいつもの笑みを浮かべた。

「それなら、三日もあれば充分よ。貴方が受け取りにくるまで、いつまででも保存しておくわ」

だから、ちゃんと無事に帰って、またこの店に来い。

言外に含まれたそれに笑い、踵を返す。返事の代わりに、再び片手を上げた。

 

 

扉の無い出入り口を潜る。

入った時と違い、ドアベルの音は鳴らない。

けれど、目に飛び込んでくるのはいつもと変わらぬ夕焼け。

そして、追いかけてくる「有難うございました」の声も、いつもと変わらず、心地よく彼の耳に響いた。

 

 

 

 

 

あとがき

 第2弾アップ日から1年以上も経っていて、忘れられている気満々ですが。(苦笑)でも、あの第2弾を書いた時点で、頭の中にこの話はあったんです。諸事情で後回しにしていたら、いつの間にやらアップ日が今になっちゃっただけというか…。

 この地域は地震が多いとか、店の扉はガラスがはまっているとか、ひと月で庭番の靴がボロボロになってたとか……いくつかちょこちょこと第1・2弾で書いたネタが出てくるのですが、月日が経った今、一体何人の方が気付いて下さるのか。(大苦笑)

 そんなこんなで、ようやく日の目を見た話でした。

 

地震の時は、場合によっては家(の骨組み)が歪んでしまって、窓や扉が開かなくなることがあるんです。だからセリナは真っ先に扉を開けようとした……んだと思います。多分。(←!?)

 

 

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